今回は、TOPの写真の直方駅近くの直方市石炭記念館です。この記念館は地図で見ると直方駅から近かったのですが、電車の車窓から見ると山の中腹・・・無理をせずタクシーで行きました。(笑)
記念館の右側の建物は明治43年に建築された筑豊石炭鉱業組合直方会議所という歴史ある建物です。
内部はこんな感じ・・・展示物よりも建物そのものに感動しました。
左側の建物は別館です。屋外も含めて、石炭採掘のための機械などが展示されています。
2階にはユネスコ世界記憶遺産である「山本作兵衛」コレクションの一部や、当時の炭鉱夫の写真も展示されていました。女性も炭鉱夫として働いていたんですね。劣悪な環境の中、まさしく命がけの重労働だったことでしょう。
屋外には蒸気機関車も展示されていました。C11は播但線でも使われていたので馴染み深いSLです(子供の頃に乗りました)。また昭和51年までドイツ製蒸気機関車が使われていたとは驚きです。
次回は、田川市の「田川市石炭・歴史博物館」を紹介します。
PS.
直方市石炭記念館では、名古屋から来られていた見学者の方と意気投合・・・同じように五木寛之さんの「青春の門」を読んで筑豊に来たかったそうです。
帰路の直方駅までのタクシー代は、二人で乗って折半としました。タクシーの中では、中日と阪神というプロ野球の話題で盛り上がりました。(笑)
記念館の右側の建物は明治43年に建築された筑豊石炭鉱業組合直方会議所という歴史ある建物です。
内部はこんな感じ・・・展示物よりも建物そのものに感動しました。
左側の建物は別館です。屋外も含めて、石炭採掘のための機械などが展示されています。
2階にはユネスコ世界記憶遺産である「山本作兵衛」コレクションの一部や、当時の炭鉱夫の写真も展示されていました。女性も炭鉱夫として働いていたんですね。劣悪な環境の中、まさしく命がけの重労働だったことでしょう。
屋外には蒸気機関車も展示されていました。C11は播但線でも使われていたので馴染み深いSLです(子供の頃に乗りました)。また昭和51年までドイツ製蒸気機関車が使われていたとは驚きです。
次回は、田川市の「田川市石炭・歴史博物館」を紹介します。
PS.
直方市石炭記念館では、名古屋から来られていた見学者の方と意気投合・・・同じように五木寛之さんの「青春の門」を読んで筑豊に来たかったそうです。
帰路の直方駅までのタクシー代は、二人で乗って折半としました。タクシーの中では、中日と阪神というプロ野球の話題で盛り上がりました。(笑)
出張(旅行?^^;)に行かれても“社会勉強”をされるとは、、、「敬服」でございますm(_ _)m
・・・で、うる覚えなんですが、、、{麻生太吉}って方は、あの{麻生太郎さん}と関係がありましたっけ???
社会も貧しかったからこそ、そこで暮らす人もこのようなことができた・・・うまくできたものですね・・・汗
麻生太吉さんと麻生太郎さんの関係は、まささんのコメントどおりですね。大変な大富豪だったことでしょう。
まささん、麻生太吉さんの解説ありがとうございます。劣悪というより、死と隣り合わせというか寿命を縮める労働です。余程、頑強な体の持ち主じゃないと勤まらない仕事です。体を壊された方も多かったことでしょう。
T2さん、今の日本人では勤まらない仕事です。欧米列国に追いつき追い越せ・・・そんな日本人の気骨さが重労働にも耐えたのでしょう。
社会が貧しかった・・・ですが、私が子供の頃も社会は貧しかったですね。カップ麺も缶コーヒーもポテチもありませんでした。夜になると灯りは少なく・・・それでも何か幸せでしたね。