我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

浜田省吾の「ON THE ROAD」です。

2021年06月05日 | 日常の出来事
今日から火曜日まで超多忙のため、今回はストックしていた記事の予約投稿です。^^

非常事態宣言中+お疲れモードということで、またもアマゾンからの荷物の紹介。

中身は浜田省吾の「ON THE ROAD」という、1982年に先ずはLPレコードで発売されたCDです。押入の奥深くにはLPレコードがあるはずですが、探すのが面倒なので中古CDを買いました。



曲目はこんなところ。赤線の曲が特にお気に入りです。^^



新品でも購入可能でしたが(2,500円ぐらい)、中古で送料込みで千円ぐらいでしたので、こちらを購入。パンフの痛みもなく中古でも十分。どうせスグにPCのiTunesでiPadに同期させるので、再生するのは一度だけです。(^^)



ところで、皆さんは浜田省吾ってご存知でしょうか。TVなどのメディアなどには、ほとんど出演しない方ですが、武道館のチケットは完売というアーチストです。浜田省吾の経歴を、ウィキから箇条書きで紹介です。

・1952年 広島県竹原市生まれ
・父は戦前特高警察官。1945年8月6日、広島市への原爆投下直後に救援隊として広島市に入り二次被爆。
・高校の時、自衛隊違憲を演説したり川上弾薬庫の弾薬運搬反対デモなど、学生運動にも積極的に参加。
・1973年、音楽活動にのめり込み大学中退。下宿を引き払う日、大学構内で他校から来たセクトとの激しい内ゲバが発生。火炎瓶が飛び交い、傷ついた学生達がキャンパス内に転がり、多くの死傷者を出した暴動を朝まで見ていた。
・広島に戻り、「広島フォーク村」の音楽仲間と共にロックバンド「愛奴」を結成。
・1974年1月 単身で上京。愛奴のオーディションには、吉田拓郎らが集まった。吉田拓郎の1974年ツアーのバック・バンドに「愛奴」が起用される。
・1975年5月 「愛奴」としてアルバム『愛奴』とシングル「二人の夏」でレコード・デビューしたが、全く売れず。他のグループとのライブでは、「お前らみたいな軟弱なロックは帰れ!」などと野次られ、生卵やらトマトが飛んで来る。ウェイターなどのアルバイトもしていた。就職雑誌を眺めることもあった。
・1976年4月 アルバム『生まれたところを遠く離れて』とシングル「路地裏の少年」でソロデビュー。生ギター1本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。
・矢沢永吉のフィルムコンサートの前座を務めた。また、アイドル歌手時代の竹内まりやとジョイント・コンサートも行う。
・歌わせてもらえる所ならレコード店の店頭はもちろん、スーパーマーケットの催し、演歌の流しのようにバーのカウンターの中でも歌った。
・この頃の全国巡業での観客は数十人から数百人程度で、描いた夢には程遠かった。同年12月に「愛奴」は解散。
・1979年7月 カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」が、初のスマッシュ・ヒット。
・1982年1月 日本武道館での初コンサートを開催。当時の浜田の動員力では無謀とまで言われたが、結果は即完売で大成功。
・同年2月、そのときの模様を収録したライブ・アルバム「ON THE ROAD」を発売し、初のトップ10入りを記録。

まだまだ経歴は続くのですが、長くなるのでこのあたりで。上記の経歴を読めば苦労人であることが分かり、父親の原爆体験や学生運動のことから、単なるラブソングではなく社会的な歌詞も多いのが特色です。(“明日なき世代”や“僕と彼女と週末に”かな)

それでは長々と文章が続きましたので、浜田省吾のライブの模様をどうぞ。この時の浜田省吾は58歳。まだまだエネルギッシュです。私らの年代でしたら、涙が流れる名曲です。



PS.
冒頭のとおり超多忙ですので、コメントを閉じています。動画をゆっくりお楽しみください。
コメント
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