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丸谷才一『たった一人の反乱』

2014-03-04 10:13:00 | ノンジャンル
 丸谷才一さんの'72年作品『たった一人の反乱』を読みました。
 ひい爺さんのおかげで若い娘に気に入られるというのは奇妙な話だった。タクシーに乗ったユカリは「お話、とてもおもしろかったわ。ひいお爺様のお話。殊に金時計のお話、すてき‥‥」とささやいたのだ。曾祖父の金時計の話は、ぼくが旧制の大学生のころ、夏休みに帰郷した際に郷土史家から聞いたものである。その老人は、川添いの道を散歩しているぼくを呼びとめて氷水をおごってくれ、曾祖父がどんなに偉かったかは妾に対する態度でもよく判ると前置きしてから、彼のいわゆる「秘話」を聞かせてくれたのだ。それによると、馬淵重吉は土地の名妓を引かせて囲っていたが、この絶世の美女が結核になった。ところが彼女は時計が読めないくせに金時計が好きで、もっと正確に言うと、旦那が金の懐中時計の蓋をぱちんとあけるときの音を聞くのが大好きである。それで彼は暇さえあれば妾の病間に坐って時計の蓋をぱちんぱちんと鳴らしてやったが、あまりしょっちゅうなので蓋のバネが駄目になる。すると東京なり大阪なりからまた新しい金時計を買い入れて、ぱちんぱちんと鳴らす。一年か二年ののち、妾が死んだときには、その枕もとに蓋のこわれた金時計が十二も並んでいた。「いいかね、英介さん」と郷土史家はここで眼をうるませて、何しろ明治十年か二十年のことだからもちろんスイス製で(「おそらくゼニットでしょうな」)、値段は途方もなく高い。それを十二個とは何と豪勢な、しかも病人に対してじつに心の優しい、側々(そくそく)と胸を打つ話ではなりませんか、さすがは地方実業界の先駆者、馬淵重吉、立派なものですなあと感に堪えた表情で語ったのだ。
 バーでこの話を聞いたファッションモデルのユカリとマヨは「まあ!」などと感嘆し、何かロマンティックな、抒情的な表情にさえなっている。すっかり勝手が違って、ぼくは内心当惑しながら、つまり女というのはこれほどものを買ってもらうのが好きなのか、それども、ファッション・モデルなんてこのくらいユーモアの感覚が乏しいのか、と考えていた。モデルたちと酒を飲むのはおろか、口をきくことすら、はじめての体験だったのである。
 二人が席を外している間に、大学で同級生だった小栗は「細君が亡くなったそうじゃないか」と言ってきた。通産相に勤めてしばらくしたころ、ある局長の世話で結婚したのだが、その妻が一年ほどわずらったあげく死んだのはこの二月のことなのである。小栗は久しぶりに会ったぼくに、女性を同席させてよかっただろうかと尋ね、ぼくは「いいに決まってるさ、男二人で飲むより」とにぎやかに答えると、小栗はいっそう陽気になってつづけた。「おい、ユカリが君に気があるぞ。さっきから見てると、どうもそうだ。あれはモデルを上中下に分けると、大体、中の上か、まあとにかく、中くらいでね。マヨもそのへんなんだが、一つどうです? 小当たりにでも、大当たりにでも、当たってみたら」「そうかい?」「ぼくの眼に狂いはないさ。たしか、どこかの大学教授の娘だ。一人でアパートに住んでるらしいや」
 タクシーはユカリのアパートに着き、ぼくは彼女のトランクを持ってさきに降り、向うにその気があればお茶でも飲んでゆかないかと誘うはずだ、と半ば心待ちしていたけれど、降りて来た彼女は、今度は軽く握手して礼を述べるだけで、トランクを受取ろうとする。「そのうちまた会いたいな」「あたしも。お電話して」とユカリは言って、電話番号を教え、まるで早く車に乗れと促すように短い別れの挨拶を口にする。「じゃあね」‥‥。

 ここまでで28ページ。44ページまで読んで、主人公がユカリを誘い出すところまでを読みましたが、そこら辺に見かける日常を読まされているようで、また細かい活字で500ページという分量もあり、先を読むことを断念しました。公共図書館で借りて読んだのですが、以前に借りている人が沢山いるのが不思議な気がしました。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/