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三崎亜記『ターミナルタウン』

2014-03-29 06:29:00 | ノンジャンル
 三崎亜記さんの'14年作品『ターミナルタウン』を読みました。
 響一は4LDKの部屋に1人で暮らしていて、空間をもてあましています。彼は光陽台ニュータウンのただ一人の住民で、二十分間隔で静ヶ原駅との間を往復するタウンシャトルで通勤しています。駅ではいつものように駅長と挨拶すると、新人の丸山という駅員を紹介されました。この町は他の地域と鉄道でしか行き来できない“鉄道の町”として発展してきましたが、現在は北へ伸びる北端線が廃止され、広軌特別軌道の列車も停車しなくなり、狭軌軌道のディーゼル列車が1時間に1本停まるだけの駅になってしまっていました。
 静ヶ原駅の近くには半径5百メートルの、柵に囲まれた場所があり、その中心に「タワー」があることになっていましたが、誰の目にもそれは見えませんでした。そして響一はそのタワーの管理公社に勤めていました。月末なので「タワー展望台利用者統計」の算出をし、それを所長に提出し、所長が形ばかりの決裁をすると、その数字にしたがって、タワー関連補助金の金額が決定されるのでした。
 タワーから半径1キロの範囲は、タワーによる電波障害を受けていることになっていて、その範囲に住む住民への補償業務も響一の仕事でした。補償金はすべて、国と州からの補助金によって賄われていました。記入内容をチェックしていた響一は、ほとんどシャッター街と化した商店街の池内菓子鋪にまず向かうと、そこには、入院した父の看病のために首都から里帰りしてきたばかりの理沙がいました。彼女は響一に影がないことに気付き、彼が影分離者であり、居住指定地の外に出られないこと、元の家族と離れて暮らすこと、暗闇に行ってはならないことを知るのでした。理沙と別れると、響一は先日の台風でアーケードが壊滅的な打撃を被っているのを知ります。支柱は折れ曲がり、屋根は至る所崩落していました。
 夜、アーケード街を歩いていると、響一は閉店した店の前で、一人の老人が机と椅子を持ち出して、歩行者をカウントしているのに出くわします。徳永という名の老人は、この町以外に住んでいるらしく、たまに町の様々な場所に姿を現しているのでした。
 駅前で食事を済まし、タウンシャトルで帰宅しようとしていると、駅長にお茶に誘われました。駅長は元町長を響一に紹介し、元町長は、この町は以前は静原町という独立した自治体だったのが、政府主導で行なわれた市町村合併で、南の開南市に統合され、それ以降、市の予算は新たに誕生した「静原区」にはほとんど入って来なくなり、開南市は中津原高速軌道線という新しい鉄道を開通させ、現在の発展を実現したという話をしました。響一はここに来て2年。駅長ら町の人に受け入れられ、影を失った者が陥る「感情断線虚脱」という症状から回復しつつあることを実感していました。町長は理沙の父の理一郎は随道士だったと言います。随道はトンネルとは違い、しなやかで地震に強く、随道士は昔からある技術を使い、種を育てて随道を作るのでした。元町長は、バリケードによって封鎖された、町の東側に随道士が多く集まっていることも教えてくれました。また、近年トンネルが進化し安価になったこと、随道の維持管理はその随道を作った随道士が行なわなけれならないことなどから、随道が減り、その後、半分がトンネルで半分が理一郎が作った随道だった鳴先随道トンネルで起きた「下り451列車事件」が随道のせいにされることによって、随道の不利は決定的となり、現在ではトンネルが80パーセントのシェアを占め、それは増え続けているとのことでした‥‥。

 ここまでで全450ページ中、43ページです。この後、「下り451列車事件」で婚約者を失った深見牧人が元鳴先随道だったところを爆破しに登場し、やがて牧人は町の活性化のために随道でアーケードを作る案を出して、それがきっかけで元町長の娘婿で随道士のリーダーとして元町長と対立していた修介が元町長と和解し、開南市による町の乗っ取りも阻止し、「タワー」が戦費調達のための幻のものであったことが明らかになるという話になっていきます。三崎さんの小説は無駄な文章がなく、しかも、上記以外にも面白いエピソードにあふれているので、その詳細、及び、上記以降のあらすじは、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「三崎亜記」のところを是非ご覧ください。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/