九州の大雨ですが、Yohoo!ニュースの動画によると、大分県日田市では83人と連絡が取れていないということです。田んぼの脇で溺死と思われる女性の遺体が発見されました。福岡県では13人が死亡、13人が行方不明になっているとのこと。昨日の報道ステーションでも、外界から寸断された村々が多くあり、連絡が取れないままになっている人々の数は相当数いるようです。その方たちの安否が心配されるところです。
また国内で大災害が起こっている昨日、たまたま外遊中の安倍首相は韓国の大統領と会談し、今後定期的に話し合いを持つことを約束し、慰安婦問題に関しては「未来志向で考えていきましょう」と発言したとのことです。「未来志向」にするためには、「過去」の負の遺産をきっちりと清算してからでないと、関係者は納得できないでしょう。実際に慰安婦で苦しめられた方々から見ると、現日本政府の態度は、謝るべきところで傲慢にも謝らず、カネさえ出せば、それで済む、といった感じに映るのではないでしょうか?
さて、また昨日の続きです。
僕が実家に滞在している間に、祖母が死んだ。通夜と葬儀には、様々な人が来た。葬儀場は、人で埋め尽くされた。僕は泣かなかった姉に言った。「巻貝。あれ、どういう意味なん?」十分批判的な声音だったと思う。でも姉は、全く表情を変えなかった。「もっと作ろうと思ってるの。」僕はもう黙るしかなかった。「最後に歩君の顔見れて、嬉しかったと思うで。」おばちゃんは、僕を慰めてくれた。どんな人にも、おばちゃんは、平等に接していた。話を聞き、うなずき、いつまでもその人に、寄り添っていた。「うちの家によう来てたチャトラがおったやろ。あの子が伸びをしたら、お尻の穴が、ぶぶぶって震えるねん。それを見てたら、おばちゃん、なんでもどうでもよくなるんよ。」「サトラコヲモンサマ?」「そう。」あの日姉に言ったのもそのことだった。
通夜、葬儀と、全く使い物にならないほど泣き崩れていた母が、喪中どころか、喪中になりたての数日中に、自分の再婚に向けて精力的に動き出した。母の強固な意思は、どんなことがあっても、絶対に折れなかった。僕が帰る日、母は新幹線乗り場に婚約者を連れてくるという暴挙に出た。婚約者の小佐田さんは父によく似ていた。小佐田さんは、最初から最後まで申し訳なさそうに、母の隣に立っていた。
父は会社を退職し、山寺にこもることになった。圷家はどうなっているんだ。僕は父に会いに行った。「お父さん、あの人が男作りまくってんのん、知ってたん?」「作りまくってたって言うほどやないやろ。でも、うん、知ってたよ。歩、ほんまに、すまん」しばらくしてから、僕の通帳に、金が振り込まれていた。悲しくなるくらいの大金だった。
「第五章 残酷な未来」
姉はアンダーグラウンドな世界で、着実にカリスマになっていた。あらゆる巻貝を作り、絵を描き、現場には、スプレーでぐるぐるとした模様を描いた。姉は「ウズマキ」と呼ばれた。この騒動はインターネットで騒がれただけで済んでいたが、ある日、僕はとうとう見てしまった。『ウズマキは神だ。』それは一蹴するコメントたちに、たちまち埋もれていた。だが僕は忘れなかった。あのときの悪夢が、はっきりと甦った。サトラコヲモンサマである。現に姉の周りには、すでにたくさんのシンパが出来ていた。こうなると、いつか姉が崩壊することは目に見えていた。何故なら、姉は神ではないからだ。姉のことに心煩わせるあまり、僕は段々やつれていった。今思えば、どうして鴻上を飲みに誘わなかったのだろうと、悔やまれる。鴻上は卒業してから、やはり就職をせず、アルバイトをしていた。鴻上なら、姉のことを言ってもことさら驚かず、親身に話を聞いてくれたはずだ。そのとき、僕は紗智子のことが好きだった。紗智子は僕の家族の話を全て聞いてくれた。「辛かったね。」紗智子は言った。その言葉で、僕は泣き出しそうになった。だが、次の日の朝、紗智子は僕の姉に会いたいと言い出した。写真を撮りたいのだと。紗智子の澄んだ野心が怖かった。
僕と紗智子は、それでも数ヵ月付き合いを続けた。編集者から僕に連絡が来た。「今橋君から、お姉さんに撮影の依頼をしてくれないだろうか。」僕は、当然それを断った。恐ろしかったのは、それでも紗智子が姉とコンタクトを取ったことだった。不幸なことに、姉は一度取材を受けていた。僕が断った、あの小さなページだ。それを探し出した編集者と紗智子は、そのときのライターに連絡を取り、結局姉とコンタクトを取るに至った。僕は紗智子の野心と、目的のためになら愛していた恋人を簡単に売ってしまう精神性に恐怖を覚えた。姉は結局、紗智子に数百枚の写真を撮らせた。そして雑誌に、10ページ(!)の特集として、掲載されたのである。その写真は(ネットの世界で)大きな反響を得た。(また明日へ続きます……)
また国内で大災害が起こっている昨日、たまたま外遊中の安倍首相は韓国の大統領と会談し、今後定期的に話し合いを持つことを約束し、慰安婦問題に関しては「未来志向で考えていきましょう」と発言したとのことです。「未来志向」にするためには、「過去」の負の遺産をきっちりと清算してからでないと、関係者は納得できないでしょう。実際に慰安婦で苦しめられた方々から見ると、現日本政府の態度は、謝るべきところで傲慢にも謝らず、カネさえ出せば、それで済む、といった感じに映るのではないでしょうか?
さて、また昨日の続きです。
僕が実家に滞在している間に、祖母が死んだ。通夜と葬儀には、様々な人が来た。葬儀場は、人で埋め尽くされた。僕は泣かなかった姉に言った。「巻貝。あれ、どういう意味なん?」十分批判的な声音だったと思う。でも姉は、全く表情を変えなかった。「もっと作ろうと思ってるの。」僕はもう黙るしかなかった。「最後に歩君の顔見れて、嬉しかったと思うで。」おばちゃんは、僕を慰めてくれた。どんな人にも、おばちゃんは、平等に接していた。話を聞き、うなずき、いつまでもその人に、寄り添っていた。「うちの家によう来てたチャトラがおったやろ。あの子が伸びをしたら、お尻の穴が、ぶぶぶって震えるねん。それを見てたら、おばちゃん、なんでもどうでもよくなるんよ。」「サトラコヲモンサマ?」「そう。」あの日姉に言ったのもそのことだった。
通夜、葬儀と、全く使い物にならないほど泣き崩れていた母が、喪中どころか、喪中になりたての数日中に、自分の再婚に向けて精力的に動き出した。母の強固な意思は、どんなことがあっても、絶対に折れなかった。僕が帰る日、母は新幹線乗り場に婚約者を連れてくるという暴挙に出た。婚約者の小佐田さんは父によく似ていた。小佐田さんは、最初から最後まで申し訳なさそうに、母の隣に立っていた。
父は会社を退職し、山寺にこもることになった。圷家はどうなっているんだ。僕は父に会いに行った。「お父さん、あの人が男作りまくってんのん、知ってたん?」「作りまくってたって言うほどやないやろ。でも、うん、知ってたよ。歩、ほんまに、すまん」しばらくしてから、僕の通帳に、金が振り込まれていた。悲しくなるくらいの大金だった。
「第五章 残酷な未来」
姉はアンダーグラウンドな世界で、着実にカリスマになっていた。あらゆる巻貝を作り、絵を描き、現場には、スプレーでぐるぐるとした模様を描いた。姉は「ウズマキ」と呼ばれた。この騒動はインターネットで騒がれただけで済んでいたが、ある日、僕はとうとう見てしまった。『ウズマキは神だ。』それは一蹴するコメントたちに、たちまち埋もれていた。だが僕は忘れなかった。あのときの悪夢が、はっきりと甦った。サトラコヲモンサマである。現に姉の周りには、すでにたくさんのシンパが出来ていた。こうなると、いつか姉が崩壊することは目に見えていた。何故なら、姉は神ではないからだ。姉のことに心煩わせるあまり、僕は段々やつれていった。今思えば、どうして鴻上を飲みに誘わなかったのだろうと、悔やまれる。鴻上は卒業してから、やはり就職をせず、アルバイトをしていた。鴻上なら、姉のことを言ってもことさら驚かず、親身に話を聞いてくれたはずだ。そのとき、僕は紗智子のことが好きだった。紗智子は僕の家族の話を全て聞いてくれた。「辛かったね。」紗智子は言った。その言葉で、僕は泣き出しそうになった。だが、次の日の朝、紗智子は僕の姉に会いたいと言い出した。写真を撮りたいのだと。紗智子の澄んだ野心が怖かった。
僕と紗智子は、それでも数ヵ月付き合いを続けた。編集者から僕に連絡が来た。「今橋君から、お姉さんに撮影の依頼をしてくれないだろうか。」僕は、当然それを断った。恐ろしかったのは、それでも紗智子が姉とコンタクトを取ったことだった。不幸なことに、姉は一度取材を受けていた。僕が断った、あの小さなページだ。それを探し出した編集者と紗智子は、そのときのライターに連絡を取り、結局姉とコンタクトを取るに至った。僕は紗智子の野心と、目的のためになら愛していた恋人を簡単に売ってしまう精神性に恐怖を覚えた。姉は結局、紗智子に数百枚の写真を撮らせた。そして雑誌に、10ページ(!)の特集として、掲載されたのである。その写真は(ネットの世界で)大きな反響を得た。(また明日へ続きます……)