7月14日の東京新聞に、木の実ナナさんの『永六輔さんからの手紙』と題されたエッセイが載っていました。
全文を転載させていただくと、
「エノケンさんや柳家金語楼さん、森川信さんとは新宿コマ劇場、ザ・ピーナッツさん、クレージーキャッツさんたちとは有楽町の日劇、そして越路吹雪さんに出逢えたミュージカル『アプローズ』での日比谷の日生劇場、渋谷の西武劇場(パルコ劇場)など思い出深い劇場での舞台を数々踏んできました。そのほとんどを観てくださった方が永六輔さんでした。
昭和43(1968)年、『日劇夏のおどり』に出演した時、お目にかかったことのない永さんから最初の長い手紙をいただきました。そこには一流のショウマンが持つ“粋”についての三項目が書いてありました。貴女(あなた)は粋な芸人になれるホープだと信じています。その“粋”を守り、作品の内容が将来を計算したものかどうか、理解する仲間を持つことなど、最後に「どうぞ、努力してください」と。
4年後の『アプローズ』の初日には「貴女は努力の人です…」と喜んでくれた手紙。
昭和50年、永さんの作・演出で小沢昭一さん主宰の芸能座旗揚げ公演『清水次郎長伝・伝』に出演させていただき、新宿紀伊國屋書ホールと約1カ月の旅公演を一緒に過ごしました。永さんや小沢さんたちを旅の朝の体操でシゴいた楽しい日々でした。粋な江戸っ子、永六輔さんと小沢昭一さんとご一緒できた幸せをしみじみ噛みしめています。永さんからの、私の道がそれていないかを確かめるような愛情のこもった手紙は50年近く続き、支えてくれました」
また、7月22日の朝日新聞に「永六輔さん1周忌 なお『現役』」と題する記事が載っていました。転載させていただくと、
「タレントで放送作家の永六輔さんが83歳で亡くなって1年。多くの印象的な言葉や歌詞を残した永さんをしのんで、関係者によるウェブサイトや本の出版などが相次いでいる。
孫で大学生の拓実さん(20)は6月末、『大遺言』(小学館、税込み972円)を出版。『言葉の職人』と称された永さんの名言と孫としての思いを記した。『自分が見た祖父の姿は限られる』と、タレントのタモリ、作曲家の小林亜星ら親交があった30人ほどから直接聞いたエピソードも紹介。『市井の人に愛された祖父の言葉を残したかった』と話す。今月下旬には、長女の千絵さん(58)が永さんを介護した日々をつづった『父「永六輔」を看取る』(宝島社、同1404円)も刊行予定だ。
拓実さんの兄の育之介さん(23)は「公式ホームページ」(https://www.rokusuke-ei.com/)を6月上旬に開設。永さんの出演番組や作詞した楽曲一覧のほか、草創期のテレビ界で活躍する姿を捉えた写真も掲載した。
永さん執筆の脚本をウェブ上で公開する動きも。TBSラジオで『永六輔の誰かとどこかで』などを長年担当した元プロデューサーの橋本隆さん(75)は、命日の今月7日、『永六輔バーチャル記念館』(http://eirokusuke.nkac.or.jp/)を国立情報学研究所の協力で開設。1961年にNHKで始まった『夢であいましょう』の、初回を含む約200回分の台本が見られる。大半は永さんの自宅に保管されていたもので、映像はNHKにもほとんど残っていないという。
今月8日には東京・代々木でイベント『夢であいましょう~永六輔さんのうわさ話~』が開かれ、黒柳徹子、さだまさし、ピーコ、次女の麻理さん(55)らが出演。『上を向いて歩こう』など永さん作詞の曲を歌い、思い出話に花を咲かせた。黒柳さんは『夢で~』の収録後に出演者が大勢で永さんの家に押しかけた話などを披露。会場は終始笑い声に包まれた。
亡くなる数カ月前まで、45年以上にわたって月に1度参加していた『東京やなぎ句会』のメンバーで演芸評論家の矢野誠一さん(82)は『永さんは子どもの頃から父親が檀家さん相手に話すのを聞いていて、どう言えば人に受け入れられるかが感覚的に分かっていた。社会のひずみをつかむ才能もあり、世の中がおかしくなればすぐ行動した。代わりになる人はなかなかいない』と話す」
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
全文を転載させていただくと、
「エノケンさんや柳家金語楼さん、森川信さんとは新宿コマ劇場、ザ・ピーナッツさん、クレージーキャッツさんたちとは有楽町の日劇、そして越路吹雪さんに出逢えたミュージカル『アプローズ』での日比谷の日生劇場、渋谷の西武劇場(パルコ劇場)など思い出深い劇場での舞台を数々踏んできました。そのほとんどを観てくださった方が永六輔さんでした。
昭和43(1968)年、『日劇夏のおどり』に出演した時、お目にかかったことのない永さんから最初の長い手紙をいただきました。そこには一流のショウマンが持つ“粋”についての三項目が書いてありました。貴女(あなた)は粋な芸人になれるホープだと信じています。その“粋”を守り、作品の内容が将来を計算したものかどうか、理解する仲間を持つことなど、最後に「どうぞ、努力してください」と。
4年後の『アプローズ』の初日には「貴女は努力の人です…」と喜んでくれた手紙。
昭和50年、永さんの作・演出で小沢昭一さん主宰の芸能座旗揚げ公演『清水次郎長伝・伝』に出演させていただき、新宿紀伊國屋書ホールと約1カ月の旅公演を一緒に過ごしました。永さんや小沢さんたちを旅の朝の体操でシゴいた楽しい日々でした。粋な江戸っ子、永六輔さんと小沢昭一さんとご一緒できた幸せをしみじみ噛みしめています。永さんからの、私の道がそれていないかを確かめるような愛情のこもった手紙は50年近く続き、支えてくれました」
また、7月22日の朝日新聞に「永六輔さん1周忌 なお『現役』」と題する記事が載っていました。転載させていただくと、
「タレントで放送作家の永六輔さんが83歳で亡くなって1年。多くの印象的な言葉や歌詞を残した永さんをしのんで、関係者によるウェブサイトや本の出版などが相次いでいる。
孫で大学生の拓実さん(20)は6月末、『大遺言』(小学館、税込み972円)を出版。『言葉の職人』と称された永さんの名言と孫としての思いを記した。『自分が見た祖父の姿は限られる』と、タレントのタモリ、作曲家の小林亜星ら親交があった30人ほどから直接聞いたエピソードも紹介。『市井の人に愛された祖父の言葉を残したかった』と話す。今月下旬には、長女の千絵さん(58)が永さんを介護した日々をつづった『父「永六輔」を看取る』(宝島社、同1404円)も刊行予定だ。
拓実さんの兄の育之介さん(23)は「公式ホームページ」(https://www.rokusuke-ei.com/)を6月上旬に開設。永さんの出演番組や作詞した楽曲一覧のほか、草創期のテレビ界で活躍する姿を捉えた写真も掲載した。
永さん執筆の脚本をウェブ上で公開する動きも。TBSラジオで『永六輔の誰かとどこかで』などを長年担当した元プロデューサーの橋本隆さん(75)は、命日の今月7日、『永六輔バーチャル記念館』(http://eirokusuke.nkac.or.jp/)を国立情報学研究所の協力で開設。1961年にNHKで始まった『夢であいましょう』の、初回を含む約200回分の台本が見られる。大半は永さんの自宅に保管されていたもので、映像はNHKにもほとんど残っていないという。
今月8日には東京・代々木でイベント『夢であいましょう~永六輔さんのうわさ話~』が開かれ、黒柳徹子、さだまさし、ピーコ、次女の麻理さん(55)らが出演。『上を向いて歩こう』など永さん作詞の曲を歌い、思い出話に花を咲かせた。黒柳さんは『夢で~』の収録後に出演者が大勢で永さんの家に押しかけた話などを披露。会場は終始笑い声に包まれた。
亡くなる数カ月前まで、45年以上にわたって月に1度参加していた『東京やなぎ句会』のメンバーで演芸評論家の矢野誠一さん(82)は『永さんは子どもの頃から父親が檀家さん相手に話すのを聞いていて、どう言えば人に受け入れられるかが感覚的に分かっていた。社会のひずみをつかむ才能もあり、世の中がおかしくなればすぐ行動した。代わりになる人はなかなかいない』と話す」
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)