恒例となった、朝日新聞の木曜日のコラム「福岡伸一の動的平衡」の第5弾。
5月10日では「シロアリにもリスペクトを」と題するコラムを書いてらっしゃいました。その全文を引用させていただくと、
「音楽家の知人がメールをくれた。地下スタジオの床に小さな翅(はね)が散らばっており、不審に思って調べると、なんとシロアリのものと判明。ぞっとしてすぐに駆除業者を呼びました。業者が言うには、シロアリはアリではなくゴキブリの仲間。これを聞いてさらに鳥肌がたちました。虫好きの福岡さんならこんなときでもにこにこ顔でしょうか、と。
ああ、シロアリが蠢動(しゅんどう)する季節ですね。翅をもった雌雄の個体が一斉にコロニーから巣立つ。群飛の後、地上に舞い降りると惜しげもなく翅を捨てる。つがいとなって移動し、新しい巣を作り始める。
なんせシロアリたちは地球上に1億5千万年以上前から存在する先住民。かくも長い間生きのびた理由は彼らの食。他の生物が消化できない木材を栄養にできる。シロアリの消化管内には原虫という小さな生物が共生している。そして驚くべきことにその原虫にさらに小さな微生物がとりついている。シロアリがかみ砕いた木質繊維を連係プレーで栄養分に変える。
だからシロアリはゴキブリとともに自然界における重要な分解者であり、生態系にとってなくてはならない存在なのだ。後からやってきた人間が勝手にビルや家を建てたけれど、彼らにとっては密林の一部。お困りのことゆえ、さすがににこにこはしませんが、一寸の虫にも五分のリスペクトを。」
また、5月17日に掲載された「かこさんの絵の後ろ側」と題されたコラム。
「絵本作家かこさとしさんが亡くなった。かこさんとは一緒に子どものための科学の本を作ったり(『ちっちゃな科学』)、アトリエにお邪魔して長時間お話ししたり、親しくさせていただいた。
かこさんの絵本がすばらしいのは、子どもの好奇心の動きを的確に押さえていたところ。子どもは何かに興味を持つと、出発点から終着点まですべてをたどってみたくなる。『かわ』では文字通り、源流から河口までが正確・公平に追跡される。ページをめくっても、川の位置と幅のつながりが変わらないという念の入れようだった。
『宇宙』では、スケールの尺度が無限小から無限大まで移動する。カメラが10倍ずつ拡大・縮小する1970年代のイームズの映像作品『パワーズ・オブ・テン』に、ちょっと似ていますよねと言ったら、かこさんは胸をはってこう返した。
『いや、僕の作品は、原子よりも小さいニュートリノのレベルまでいっています』
一方で、よい子であろうとする子どもの心が、たやすく環境の影響を受けてしまう危険性にも十分すぎるほどの自戒があった。僕は筋金入りの軍国少年だったんです、と彼は言った。かこさんの細やかで優しい絵の後ろ側に、いつもどこか寂しげで、悲しみを含んだ光と風があるのは、このときの原風景が含まれているからだ。」
また、5月24日に掲載された『サルトルが呼びかけたもの』と題されたコラム。
今どきサルトルに親しむ学生などまずいそうもないが、最近出版された彼の日記を読んでみた(『敗走と捕虜のサルトル』)。
1905年生まれのサルトルは39年に徴用され、ドイツ侵攻に備えて国境ちかくの拠点に兵士として送られた。ここは奇妙な戦線だった。軍事衝突もないまま日々を過ごすうちに、ドイツ軍は別ルートから瞬く間にパリを制圧。サルトルはあえなく捕虜になってドイツの町トーリアの収容所に送られた。死すべき運命だったのに生きのびた自らの立場を、サルトルは『原生物と同様』なものと書いている。つまり無限に分裂だけを繰り返す微生物のごとく、消滅することはないものの個として生きることもないという意味だ。
ドイツ兵は表向き紳士的に振る舞ったが、フランス人たちは無言で応えた。収容所内の催しに、サルトルはキリストの降臨劇の台本を執筆、自らも東方博士役を演じた。
この劇は、表向きはクリスマス会の余興だったが、その内実は、信仰を持つ者も持たざる者も共に連帯し、死も生もない地の底から、再生を目指す抵抗をひそかに呼びかけるものだった。
戦後、サルトルは知識人の社会参加(アンガージュマン)を主張する。現在の日本では哲学や文学の理念が時代を先行することなど絶えて久しいが、いま一度歴史に学ぶべきかもしれないかと感じた」。
どの文も大変勉強になる文章でした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。また、この2人について何らかの情報を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
5月10日では「シロアリにもリスペクトを」と題するコラムを書いてらっしゃいました。その全文を引用させていただくと、
「音楽家の知人がメールをくれた。地下スタジオの床に小さな翅(はね)が散らばっており、不審に思って調べると、なんとシロアリのものと判明。ぞっとしてすぐに駆除業者を呼びました。業者が言うには、シロアリはアリではなくゴキブリの仲間。これを聞いてさらに鳥肌がたちました。虫好きの福岡さんならこんなときでもにこにこ顔でしょうか、と。
ああ、シロアリが蠢動(しゅんどう)する季節ですね。翅をもった雌雄の個体が一斉にコロニーから巣立つ。群飛の後、地上に舞い降りると惜しげもなく翅を捨てる。つがいとなって移動し、新しい巣を作り始める。
なんせシロアリたちは地球上に1億5千万年以上前から存在する先住民。かくも長い間生きのびた理由は彼らの食。他の生物が消化できない木材を栄養にできる。シロアリの消化管内には原虫という小さな生物が共生している。そして驚くべきことにその原虫にさらに小さな微生物がとりついている。シロアリがかみ砕いた木質繊維を連係プレーで栄養分に変える。
だからシロアリはゴキブリとともに自然界における重要な分解者であり、生態系にとってなくてはならない存在なのだ。後からやってきた人間が勝手にビルや家を建てたけれど、彼らにとっては密林の一部。お困りのことゆえ、さすがににこにこはしませんが、一寸の虫にも五分のリスペクトを。」
また、5月17日に掲載された「かこさんの絵の後ろ側」と題されたコラム。
「絵本作家かこさとしさんが亡くなった。かこさんとは一緒に子どものための科学の本を作ったり(『ちっちゃな科学』)、アトリエにお邪魔して長時間お話ししたり、親しくさせていただいた。
かこさんの絵本がすばらしいのは、子どもの好奇心の動きを的確に押さえていたところ。子どもは何かに興味を持つと、出発点から終着点まですべてをたどってみたくなる。『かわ』では文字通り、源流から河口までが正確・公平に追跡される。ページをめくっても、川の位置と幅のつながりが変わらないという念の入れようだった。
『宇宙』では、スケールの尺度が無限小から無限大まで移動する。カメラが10倍ずつ拡大・縮小する1970年代のイームズの映像作品『パワーズ・オブ・テン』に、ちょっと似ていますよねと言ったら、かこさんは胸をはってこう返した。
『いや、僕の作品は、原子よりも小さいニュートリノのレベルまでいっています』
一方で、よい子であろうとする子どもの心が、たやすく環境の影響を受けてしまう危険性にも十分すぎるほどの自戒があった。僕は筋金入りの軍国少年だったんです、と彼は言った。かこさんの細やかで優しい絵の後ろ側に、いつもどこか寂しげで、悲しみを含んだ光と風があるのは、このときの原風景が含まれているからだ。」
また、5月24日に掲載された『サルトルが呼びかけたもの』と題されたコラム。
今どきサルトルに親しむ学生などまずいそうもないが、最近出版された彼の日記を読んでみた(『敗走と捕虜のサルトル』)。
1905年生まれのサルトルは39年に徴用され、ドイツ侵攻に備えて国境ちかくの拠点に兵士として送られた。ここは奇妙な戦線だった。軍事衝突もないまま日々を過ごすうちに、ドイツ軍は別ルートから瞬く間にパリを制圧。サルトルはあえなく捕虜になってドイツの町トーリアの収容所に送られた。死すべき運命だったのに生きのびた自らの立場を、サルトルは『原生物と同様』なものと書いている。つまり無限に分裂だけを繰り返す微生物のごとく、消滅することはないものの個として生きることもないという意味だ。
ドイツ兵は表向き紳士的に振る舞ったが、フランス人たちは無言で応えた。収容所内の催しに、サルトルはキリストの降臨劇の台本を執筆、自らも東方博士役を演じた。
この劇は、表向きはクリスマス会の余興だったが、その内実は、信仰を持つ者も持たざる者も共に連帯し、死も生もない地の底から、再生を目指す抵抗をひそかに呼びかけるものだった。
戦後、サルトルは知識人の社会参加(アンガージュマン)を主張する。現在の日本では哲学や文学の理念が時代を先行することなど絶えて久しいが、いま一度歴史に学ぶべきかもしれないかと感じた」。
どの文も大変勉強になる文章でした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。また、この2人について何らかの情報を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)