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12・3非常戒厳令が成功していたら、どんなことが起きただろうか。あの日国民と国会の力で非常戒厳を解除できなかったら、何が起きただろうか。

2025-02-15 | 韓国戒厳令関係
 

尹錫悦が恩赦を受けて闊歩できないように

【チョ・グク獄中記稿】

登録:2025-02-15 07:15 修正:2025-02-15 15:16
チョ・グク|前祖国革新党代表
 
 
                                              チョ・グク前代表提供//ハンギョレ新聞社

<編集者注:チョ・グク前祖国革新党代表が、憲法裁判所の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領弾劾審判過程で尹大統領が見せた言動と、「12・3非常戒厳」が成功した場合に私たちが直面したであろう悲劇、尹大統領罷免後の国民と民主陣営の対応などについて、自身の考えを明らかにする寄稿文をハンギョレに送ってきた。チョ前代表は現在、ソウル南部刑務所に収監されている。>

 2024年12月3日、「反国家勢力」に言及し国会と選挙管理委員会に軍隊を投入した尹錫悦は、憲法裁判所の法廷で「警告するための戒厳」という不思議な詭弁を繰り広げ、責任を下級者に転嫁する卑怯者の素顔をあらわにした。12・3非常戒厳後、多くの国務委員は、尹錫悦と距離を置き、尹錫悦を「組織の大統領」として誇りに思っていた検察は尹錫悦を起訴しており、尹錫悦大統領作りの先頭に立った保守系マスコミも尹錫悦を批判している。しかし、彼らは「祖国革新党」や「共に民主党」など野党の立場に同意しているわけでもなく、政権交代を望んでいるわけでもない。尹錫悦の違憲・違法があまりにも明らかで、尹錫悦の言動があまりにも卑しいため、背を向けているだけだ。

 これに対し、尹錫悦が特定して逮捕を指示した前「国会要員」の一人として、質問を投げかけたい。すなわち、12・3非常戒厳令が成功していたら、どんなことが起きただろうか。あの日国民と国会の力で非常戒厳を解除できなかったら、何が起きただろうか。

 まず、私を含む国会議員はもちろん、ジャーナリスト、宗教者などは「回収」され、「反国家活動」をしたという自白を強要されただろう。ノ・テアク選挙管理委員長と職員たちは、ノ・サンウォン元情報司令官が特別に用意した野球バットで「不正選挙」を自白するまで殴られただろう。この過程で強要された自白が出てくれば、保守系メディアは連日大きく取り上げただろう。ハンギョレや「MBC」など政府に批判的とされるマスコミは、大々的な捜査の対象になっただろう。法人カードや会計帳簿などを隈なく調査し、経営陣を交替し、刑事処罰をしただろう。「世論調査コッ」のキム・オジュン代表はどこかに連れていかれ、有無を言わさず殴られていただろう。

 このような非道なことが行われているとき、首相をはじめとする国務委員は、今のように非常戒厳の要件が満たされていないと言うだろうか。それはないと断言できる。のちに立場を変えたが、イ・サンミン前行政安全部長官が国会で行った発言、「非常戒厳は司法審査の対象ではなく統治行為だ」という言葉を口をそろえて主張したことだろう。また、各部処(省庁)の長官たちは戒厳布告文の趣旨に合わせ、先を争って野党を非難し、戒厳の必要性を強調する記者会見を開いたことだろう。

 検察は今のように「非常戒厳特別捜査本部」を作り、尹錫悦をはじめとする内乱一党を捜査・起訴しただろうか。全くそうではなかろう。以前、金泳三(キム・ヨンサム)政権発足後に粛軍クーデター(1979年12月12日)および5・17クーデター(1980年5月17日の非常戒厳令拡大措置)の一味に対する処罰を求めて世論が沸き立ったとき、検察が発表した立場、すなわち「成功したクーデターは処罰できない」という言葉を主張し、尹錫悦に頭を下げただろう。一方、「反国家勢力特別捜査本部」を作り、野党を抑え込むための捜査を全方位的に展開しただろう。

 
 
2024年12月3日夜に尹錫悦大統領が非常戒厳を宣布したなか、4日夜、ソウル国会議事堂で戒厳軍が国会本庁に進入している/聯合ニュース

 さらに、ノ・サンウォン元情報司令官の手帳に書かれたNLL(北方限界線)で北朝鮮の攻撃を誘導することが実際に起き、局地戦が起きただろう。極右ユーチューバーや極右キリスト教勢力は、一日中反北朝鮮・反野党扇動を繰り広げ、「白骨団」など極右暴力集団が街をかき回したことだろう。

 このような状況で、尹錫悦は「不正選挙」を理由に国会を解散させ、「非常立法機構」を作って様々な悪法を可決させただろう。尹錫悦は大統領選挙の討論会で、手のひらに「王」の字を書いて出たことがあるくらいだから、自分の願いを叶えたことだろう。裁判所は起訴された犯罪に限り有罪無罪を判断するのみという原則論を掲げ、このすべての現実に沈黙を守るだろう。ただし、「反国家勢力特別捜査本部」が捜査・起訴した事件に対しては重刑を宣告しただろう。

 偉大な国民の決断と行動で、このような恐ろしい事態が現実になることはなかった。尹錫悦の罷免と処罰は近いうちに実現するだろう。しかし、尹錫悦一味が処罰されても、全く変わらず全く反省しない勢力が依然として残っている。尹錫悦検察総長を「英雄」として仕え、大統領にした勢力は、政権延長を目指して一致団結している。12・3内乱を批判する代わりに、「議会独裁」をした野党のせいでやむを得なかったという両非論(両方に非がある)を展開している。野党が尹錫悦政権の足を引っ張って破局を招いたと非難している。大統領選のライバルだった野党第一党の代表に対する執拗な標的捜査にも飽き足らず、「イ・ジェミョン(共に民主党代表)の悪魔化」を進めている。そして、尹錫悦に代わる新しい人物を中心に団結し、再び政権を握ることを目指している。

 主権者である国民と野党は、気を引き締めなければならない。尹錫悦が罷免されても、尹錫悦を大統領にして政権を握った勢力はそのまま残っている。彼らが政権を握れば、尹錫悦は恩赦で釈放され、前大統領の肩書きをつけて闊歩するだろう。韓国国民は1987年に軍部独裁を倒し、2017年には国政壟断勢力を引きずり下ろし、朴槿恵(パク・クネ)を罷免させた。2024-25年も、尹錫悦一味を撃退することはできるだろう。いま重要なのはその次のことだ。現在行われている政党支持率の世論調査は、事実上、大統領選候補の世論調査だ。実際、大統領選が決まれば結集現象は加速化し、終局は51対49の戦いになるだろう。1987年、金泳三候補と金大中(キム・デジュン)候補の一本化に失敗したせいで、粛軍クーデターと5・17非常戒厳拡大の主役だった盧泰愚(ノ・テウ)が大統領になった。2012年には相乗効果のない文在寅(ムン・ジェイン)候補とアン・チョルス候補の一本化により、朴槿恵が大統領となった。2022年にはイ・ジェミョン候補とシム・サンジョン候補の一本化に失敗し、尹錫悦が大統領になった。

 まず、12・3内乱に反対し、民主憲政の回復を求める勢力が団結しなければならない。12・3内乱を擁護したり幇助した勢力を孤立させなければならない。祖国革新党、共に民主党など革新系政党の他にも、保守系の改革新党まで共に行動することを望む。勝利するためには「連合」する道しかない。欧州で極右政権を阻止するために、左派と中道保守派が連立する例を思い出すべきだ。次に、大統領選挙後の新たな大韓民国のビジョンと政策に対する話し合いと共通の公約を抽出しなければならない。各政党ごとに違いはあるだろうが、例えば「第7共和国のための7大共同課題」に対する合意が必要だ。ここには言うまでもなく、12・3以降、広場でろうそくとペンライトを掲げた主権者である国民の要求と夢が反映されなければならない。このような連合政治は「新たな多数」を形成し、この「新たな多数」が大韓民国の次の時代を開き、また担っていくだろう。

チョ・グク|前祖国革新党代表(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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「革新か保守かにかかわらず、またウクライナやロシアのどっちが悪いかにかかわらず、これ以上多くの人々が死んで怪我をしてはならない。戦争を終わらせなければならない」と話した。

2025-02-15 | ウクライナ支援いつまで続くのか?
 

「死ぬまで追ってくる自爆ドローン、

今でも恐怖」ウクライナ戦で負傷した韓国人参戦者

登録:2025-02-15 06:58 修正:2025-02-15 09:10

 

ウクライナの負傷兵になった韓国人参戦者、イ・ビョンフンさん 
ザポリージャで自爆ドローンの攻撃を受け負傷
 
ウクライナの外国人義勇兵部隊「国土防衛隊国際旅団」所属で参戦し負傷した韓国人のイ・ビョンフンさん(58)が7日、ウクライナの首都キーウでインタビューに応じている=キーウ/チャン・イェジ記者//ハンギョレ新聞社

 2022年2月24日にロシアのウクライナ全面侵攻で始まったウクライナ戦争がまもなく3年を迎える。ハンギョレはウクライナ戦争3年を迎え、ウクライナの首都キーウと西部リビウ、そしてポーランドなどを訪れ、戦争の惨状と見通しを取材した。

 ウクライナ戦争勃発後、ウクライナ軍に西欧圏出身を中心に多くの人々が義勇軍として参戦し、一部の韓国人もウクライナ義勇軍として参戦した。ハンギョレは、ウクライナの外国人義勇兵部隊「国土防衛隊国際旅団」所属として参戦し、負傷した韓国人と韓国系米国人に会った。今月7日から8日にかけて、ウクライナの首都キーウにあるレストランや、西部都市リビウにあるリハビリセンター「スーパーヒューマンセンター」で、韓国人参戦軍人のイ・ビョンフンさん(58)と韓国系米国人のジェイソン・ジさん(21)に会い、戦争の実態について聞いた。彼らは昨年7月、それぞれ異なる地域で作戦遂行中に負傷し、イさんは左腕を、ジェイソンさんは左膝の上まで切断した末に命を取り留めた。

 2023年7月、ポーランド国境で国際旅団への入隊を申請したイ・ビョンフンさんは、約1カ月間の訓練を経て、作戦に投入された。イさんのような外国人14人とともに陸軍204旅団に正式に配属され、戦闘が最も激しかった東部ドネツク州のバハムートとコンスタンティニウカなどで戦闘に参加した。彼は「部隊員たちは最大5〜6日間、最前線の塹壕に投入され、ロシア軍と近接戦闘を繰り広げた。主にロシア軍の攻撃を防御する任務であり、機関銃や手榴弾、榴弾発射機などを持ってロシア軍と交戦した」と語った。

 
 
ウクライナ戦争に参戦して負傷したイ・ビョンフンさんが戦場で撮影した写真=イ・ビョンフンさん提供//ハンギョレ新聞社

 イさんはミサイルと大砲攻撃にも遭ったが、最も恐ろしかったのは「ドローン」(無人機)だった。昨年7月7日、ザポリージャ戦線に投入されたイさんは自爆ドローンの攻撃を受け、左腕を失った。左耳の鼓膜も破裂し、補聴器をつけなければならない。イさんは「死ぬまで追いかけてくるドローンがいまだに怖くて恐ろしい。ロケットや機関銃などで戦闘を行っても、ひとまず塹壕の中に入れば安全だったが、ザポリージャでは塹壕の屋根がほとんどなくなるまで休む間もなくドローン攻撃を受けた」とし、「(相次ぐドローン攻撃で)塹壕は隠れる場所にならず敵の攻撃にさらされるため、犠牲者が多く発生した。ロシアとウクライナの両方とも、兵士を犠牲にして戦線を守る状況だ。最先端の高価な武器で戦術と戦闘教理が発展するのではなく、むしろ安いドローンの効用が立証され、過去の戦術に戻る印象まで受けた」と語った。

 イさんは「ターニケット」(止血帯)で止血をしながら一人で後退し、明け方に無線交信で負傷を知らせて、コロンビア出身の義勇軍2人の助けで応急処置を受けたという。その後、他のウクライナ軍2人がイさんを車に乗せて安全な場所まで移動させ、車で病院に運ばれた。イさんは「車に乗る瞬間まで大砲とドローン攻撃を受けた。後で医療記録を見ると、負傷から14時間後に病院に到着したことが分かった」と振り返った。当時、イさんを含め作戦に投入された8人のうち戦死者は2人で、イさんなど4人が重傷を負ったという。

 
 
ウクライナ戦争に参戦したイ・ビョンフンさんが履いていた軍靴。左側の軍靴には血が付いている=イ・ビョンフンさん提供//ハンギョレ新聞社

 2024年初め、英国を経てポーランドからウクライナへと国境を越えたというジェイソンさんも国際旅団に編入された。ウクライナ東部のドネツク州で塹壕防御任務を担当した。2024年7月27日に負傷した日も、任務のために兵士5人と狭い道を移動する途中、地雷を踏んで左足を失った。ジェイソンさんより先に骨盤に銃傷を負ったスペイン出身の兵士もいたため、安全な塹壕まで移動するのにさらに時間がかかった。ジェイソンさんは「急いでターニケットを作動させたが、止血も完璧ではなく、少しずつ血を流しながら800メートルほど片足歩きで進んだ」とし、「本当に運が悪かった。最初は地雷を踏んだことに気づかず、(間違って)自分に銃を撃ったと思った」と語った。

 ジェイソンさんはその後、ドニプロとキーウのリハビリ病院に入院したが、劣悪な施設などで日常を送るのに苦労し、11月になってから負傷兵のための専門リハビリセンターである「スーパーヒューマンセンター」で義足の支援を受け、歩く訓練などを受けることになった。

 イさんも負傷から後4カ月間、キーウやリビウ、ムカチェボなどの病院を転々としたが、昨年12月、スーパーヒューマンセンターで義手を受け、専門的なリハビリ治療に入った。

 コロナ禍当時、東南アジアでマスク事業を営んでいたイさんは、2023年夏のフランス旅行中にウクライナ戦争についてより多くを知ることになり、戦争の状況を知らせるために一日に多くの国を飛び回るウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の姿から、「切実さ」を感じたと話した。イさんは「朝鮮戦争の時も国際連合(UN)軍が我々を助けてくれたではないか。チェコにあるウクライナ大使館前に展示された戦争写真を見て衝撃を受けた」と言い、それが入隊のきっかけになったと語った。

 米国西部の小都市の大学生だったジェイソンさんは、コンピューター工学などの専門の勉強を終えれば安定的な仕事が見込めたが、戦場を選んだ。ジェイソンさんは「ここで良い暮らしができるのに、なぜウクライナに行くのかと多くの人から聞かれたが、そのような条件が人々を助けない理由にはならなかった」とし、「ロシアはすでに世界で最も大きな国であり、多くの資源を持っているのに、他国を占領するために戦争をすること自体が正しくないと思った」と語った。

 
 
8日、ウクライナ西部リビウにあるリハビリ専門医療機関「スーパーヒューマンセンター」で、ウクライナの外国人義勇兵部隊「国土防衛隊国際旅団」を通じて参戦したジェイソン・ジさん(21)=チャン・イェジ 記者//ハンギョレ新聞社

 しかし、イさんとジェイソンさんが経験した戦場は想像以上に恐ろしく、彼らの人生を根こそぎ変えてしまった。イさんは「そこら中にロシア軍の遺体が転がっていた」と語りながら、目をぎゅっとつぶった。イさんは「私を救助しろという指揮官の命令と後方支援に来てくれた戦友たちのおかげで生き延びることができた。生きて帰れば負傷兵だが、ロシア軍に捕まると捕虜になり、攻撃を受けて死んでも遺体を収拾できなければ失踪として処理される」とも語った。現場では足りない兵力問題も如実に感じたという。イ氏は「あるウクライナの戦友は60歳を過ぎたのに除隊が認められず、家族に会いたいと打ち明けた。『休暇に出て復帰するのは大馬鹿者』という冗談があるほど、ウクライナとロシアの両方とも脱走兵問題が深刻だと聞いた」と伝えた。

 ジェイソンさんは負傷する4日前、一番親しかった英国人の同僚を失った。18歳の少年だったジェームズ・ウィルトンさんは初めて任務を与えられたが、ジェイソンさんとともに任務遂行中にドローン攻撃を受けて死亡したという。ジェイソンさんは「ドローン2台が私たちを偵察するのを見て走り始めたが、ジェームズはその場で凍りついてしまい、ドローンが落とした爆弾に当たった。任務を始めてから約20分後に起きたことだった」と語りながらうな垂れた。ジェイソンさんはジェームズさんの遺体をみずから運び、彼の葬儀には車椅子に乗って出席した。

 
 
ジェイソン・ジさんが戦場で同僚たちと撮った写真=ジェイソン・ジさん提供//ハンギョレ新聞社

 開戦初期、ウクライナ政府は50カ国から約2万人ほどが国際旅団への参戦を申し込んだと発表した。しかし、2023年1月、米ワシントンポスト紙は夏になる前に半分以上の兵士が故国に帰ったと報道し、当時基準で1000〜3000人の外国人義勇軍が戦闘中だと推算した。イさんも「前方に行った外国人義勇軍は恐怖で多くが帰国した。国際旅団ではウクライナ人の祖父母を持つ在韓米軍出身の同僚にも会ったが、金を稼ぐ目的や好奇心のために来る人たちもいた。第204旅団に同行した14人の外国人も全員帰国し、今はここに残っているのは私だけだ」と語った。

 
 
ウクライナ戦争に参戦したイ・ビョンフンさんがウクライナ政府から授けられた勲章を見せている=イ・ビョンフンさん提供//ハンギョレ新聞社

 イさんとジェイソンはリハビリ治療とともに除隊に向けて準備をしている。イさんは「戦争や死が怖いとは思ったことはなかったが、(負傷で)九死に一生を得てから、命の大切さを改めて感じた」とし、「ウクライナのためにできることを探したい」と語った。ジェイソンさんはまだ戦友を失った悲しみから抜け出せずにいた。彼は「(負傷直後には)家に帰りたい気持ちがだんだん大きくなったが、友人を失ったことに対する怒りを抑えきれなかった。ロシア軍に復讐したいと思った」と語った。

 負傷後、イさんが最も気になったのは、ロシアに派兵された北朝鮮軍だった。イさんは「約1年間前方で戦ったため、北朝鮮軍がどのような状況に置かれているのかをよくわかる。敵が誰なのかも知らずに戦場に来た若い青年たちを見て、とても残念に思った」とし、「むごたらしく捨てられた遺体をたくさん見てきたため、死んでいった北朝鮮軍もそうだったと思うと、本当に胸が痛んだ。彼らの両親の心情はいかばかりか」と語った。20代の時、海兵隊に所属し金浦(キンポ)で服務したというイさんは、北朝鮮の開豊郡(ケプングン)とわずか1.4キロメートルの距離の愛妓峰(エギボン)付近で観測下士として服務し、常に北朝鮮を眺めていたという。

 
 
イ・ビョンフンさんが20代に海兵隊に服務していた頃に撮った写真を見せている。イさんは北朝鮮の開豊郡とわずか1.4キロメートルの距離の愛妓峰付近で観測を行い、常に北朝鮮を眺めていた=イ・ビョンフンさんに提供//ハンギョレ新聞社

 イさんは帰国した場合、旅行禁止国のウクライナに滞在したため、パスポート法違反で処罰される可能性が高いが、「処罰も私が受け入れなければならないこと」だと淡々と語った。参戦と負傷のことも、1年半が経った最近になって実の弟と友人一人だけに打ち明けたという。イさんは除隊後もウクライナに残り、戦場の状況をユーチューブなどを通じて知らせることも考えている。イさんは「ある海外メディアとのインタビューで、北朝鮮軍に会ったら銃を撃つことができるかと訊かれたことがある。私はできないと思うと答えた」とし、「革新か保守かにかかわらず、またウクライナやロシアのどっちが悪いかにかかわらず、これ以上多くの人々が死んで怪我をしてはならない。戦争を終わらせなければならない」と話した。

キーウ・リビウ/チャン・イェジ特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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