ヤン・クムドクさんが日本を訪れ「謝罪を望む」叫び
2007年から10年間、朝の出勤途中に東京集会
三菱本社に入り短い面談「協議する席を設けてほしい」
「私は今日死ぬか明日死ぬか、それでも心残りはありません。一日も早くアベは謝罪しなければならない。謝罪を耳で聞いてこそ恨みが解けます」
17日午後12時、東京千代田区の三菱重工業本社前で勤労挺身隊被害者であり91歳のヤン・クムドクさんは「謝罪を受けたい」という言葉を何度も繰り返した。隣には、10年以上にわたり勤労挺身隊被害者支援のために毎週金曜日に三菱重工業本社前で“金曜行動”デモを続けてきた「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋訴訟支援会)の高橋信共同代表などが立っていた。日本の良心的市民800人ほどが集まったこの支援会は、2007年から三菱重工業に対し勤労挺身隊被害補償を要求し金曜行動を続けてきた。この日が500回目だった。名古屋・富山・長崎・広島など列島全域から日本の市民が訪ねてきた。韓国では「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)と共にする市民の会」などから20人余りが訪ねてきて、韓日を合わせて60人ほどが集まった。高橋代表は「(日本の敗戦後)75年間ハルモニは一度も謝罪を受けることができなかった」として、日本政府と三菱重工業が被害補償に応じなければならないと訴えた。
この支援会は、1998年に勤労挺身隊被害者の日本裁判所への訴訟提起を助けるために結成された。名古屋市民がまず呼応した。ハルモニが強制労働に苦しめられた所が、三菱重工業の名古屋航空機製作所だった。2007年5月、名古屋高等裁判所は強制労働被害自体は認めつつも、1965年の韓日請求権協定を理由に原告敗訴判決を下した。日本訴訟の当時、弁護団だった内河恵一弁護士はこの日の集会現場で「被害はあるが請求はできないというのは、それまで聞いたこともない論理だった」と回想した。支援会は2007年7月20日、東京の三菱重工業本社前で最初の金曜行動を始めた。ソウルの日本大使館前で28年にわたり続いている水曜集会にヒントを得た。三菱重工業が協議に応じた2010~2012年を除き、一度も欠かさず金曜行動(通常4~5人が参加)を続けてきた。
強制動員被害問題で日本で“行動”に出ることは大きな勇気がいる。「お前、朝鮮人だろう」 「(デモに参加すれば)いくらもらえるのか」と言ってくる人もいる。日本人が舌打ちして過ぎ去るのは日常茶飯事だ。金曜行動に名古屋から来る日本の市民1~2人は、360キロメートルも離れた東京に来るために午前4~5時に起きる。朝の出勤途中に市民にビラを配る活動もするためだ。名古屋~東京の往復運賃だけで2万3千円を超える。
韓国と日本の市民の支援と被害者の闘争で、ヤンさんをはじめとする原告5人が昨年11月、韓国最高裁(大法院)で被害補償確定判決を受けたが、日本政府と三菱重工業は無視している。支援会がこの日、ヤンさんを迎えて外務省の担当者との面談を試みたが、外務省の拒否で失敗に終わり、外務省前での朝デモで行動は終わった。ただし、三菱重工業はこの日、2010年の協議当時以来、初めてヤンさんに本社内で会った。ヤンさんは面談で「謝罪を受けたい。私の涙が川になり、私がその涙に浮かぶ船になり、(日本の責任を)世界に伝える」と話したと高橋代表が伝えた。面談には、三菱の総務課職員2人が出てきて「聞いた話は確かに担当部署に伝える」とだけ言ったという。韓国と日本の市民団体は、三菱重工業に「人権被害者の権利回復は、逆らうことのできない世界の潮流だ。被害者の尊厳回復のために、原告と協議する席を設けてほしい」という要請書を手渡した。外務省と安倍首相には、強制動員問題の解決を妨害するなという要請書を郵送した。