Wir haben heute an Hiroshima gedanken.
今朝、八時十五分にハノーファーでも広島の平和の鐘がつかれました。
市民が小雨の中、集って、平和、核兵器の絶滅へ思いを新たにしました。
広島では暑い平和式典でしょう。こちらは17度。(モスクワが30度を越す暑さで,森林,田畑が焼けつくされる火災に見舞われていると聞くと、丁度いい按配、というのは無いもの、と思います。)
その後献茶が行われ、いろいろな団体が平和活動を今日一日、広島と連帯して行い、市庁舎では原爆を浴びた広島の映写会、その後、市庁舎裏の大池で灯篭流しが行われます。
この時期はその南側にある人口湖、マッシュ湖が夏祭りを2週間にわたって開いており、夜はオープンエアーデイスコ等、平和を享受する若者たちで賑わうようです。灯篭流しの静かさと正反対の騒ぎが目と鼻の先にあります。
さて、ボチボチになっても、少し私の知っている範囲で、ハノーファーの様子を満さんに書いて、“こちらへの旅愁をかき立てようかと思います。いかがでしょう?
この広島の平和の鐘がつるされているのは“AEGIDIEN KIRCHE”、エーギー教会で、平和教会と言いますか、戦争で破壊されたままを今日に伝え、後世に戦争を再び繰り返さない平和活動に役立っています。
もとの教会は、1163年に建てられたチャペルの所へハノーファーーを代表する3つの教会の一つとして1347年に建築されたものといわれています。
ハノーファーの町が形成されていく以前に、集落が3箇所あった、その一つがここだったそうです。
詳しくはヴィキペデイア、でAEGIDIENKIRCHE HANNOVERを見てください。写真が出ています。
戦争中、この教会にあった洗礼桶、など教会の宝はどこかの地下へ保管されていたらしく、戦後はこの教会は再建されなかったため、ハノーファーの本教会、と言われるマルクと教会に保存されています。
塔の上に電気仕掛けの教会の鐘が季節ごとにメロデイーを変えて、時間を伝えてくれます。
広島と姉妹都市関係を結んだ後、広島から”平和の鐘”がハノーファーに寄贈され、それ以来ここにつるされ、8月6日に式典が行われます。
この教会を出た角っこに”8人の焼き払われたハノーファーの兵士たち”の慰霊の墓石が立っています。
昔は各所に”旅の証”といわれるものがあったらしく、ハノファーへ行ってきた、と言うからには”見てきたはずのものがあるだろう?”と証拠の土産話を聞かされる、その一つだったそうで、ハノーファーの町を守る代わりに税金を取り上げていた、嘗ての領主がお金に困って、裕福なハノーファー市民から強盗まがいにお金を奪おうと、まずは、見張りの塔でがんばっていた市民を焼き討ちにして,“急”を町へ知らせないようにしたのだそうです。
ひどい話ですが、今も様子はあんまり変らないですね.ボラれるのはいつも手で仕事を懸命にした働き者。
話は変わりますが、先日、嘗て夫が働いていた”ハイデ病院”、Haide と言うのはエリカの花の事ですが、日本語の”肺の病院”に結構通じますね。今は老人ホームになり、新しく経営が始まったので、見学に行かせてもらいました。
素晴しい施設で、まるで高級ホテルのようです。大理石の床、贅沢なインテリア、びっくりしました。
そこで話が”文化遺跡保護”になりました。
ハイデ病院は殆どの建物が文化遺跡保護に入っていて、改築が大変厳しい・・・・
そこで出たのがもう一つの老人ホームの話で、ここは旧帝国郵便局の建物で、天井の高さが3m80、と堂々とした部屋のホームでしたが、そこに真正面に大きな大理石の階段があった。
それで老人が転んだりした時に、柔らかいものの上になるようにと、ふわふわのじゅうたんを敷いたところ、この文化保護局からクレームが出たそうです。建物だけでなく、建物内の”音響効果”も文化財として保護されるように登録されているから、絨毯をはずせ。ですって。
これ丸々ドイツです。
ではお元気で。
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