大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

共産党との友好は、民主主義成熟のバロメーター

2010-08-16 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

韓国民団 光復節中央記念式

   志位委員長のあいさつ(全文)


 在日本大韓民国民団中央本部が15日に開いた第65周年光復節中央記念式で日本共産党の志位和夫委員長が行ったあいさつは次のとおりです。


写真

(写真)第65周年光復節中央記念式であいさつする志位和夫委員長=15日、東京・日比谷公会堂

 (韓国語で)こんにちは(拍手)。私は、日本共産党委員長の志位和夫です。(拍手)

 きょう、8月15日は、韓国のみなさんにとって日本帝国主義の支配から解放された喜ばしい日であり、私は、心からのお祝いを申し上げるものです。(拍手)

 同時に、私は、この日にあたって、日本の侵略戦争と植民地支配によって犠牲になった2000万人を超すアジアの人々と310万人の日本国民を追悼し、過ちを二度と繰り返さない決意を新たにするものです。

「韓国併合」100年と日本共産党の立場

 今年、2010年は、日本帝国主義が、韓国を「併合」してから100年目の年となります。「韓国併合」は、日本軍による繰り返しの侵略、王妃の殺 害、国王・政府要人への脅迫、民衆の抵抗の軍事的圧殺によって実現されたものであり、「韓国併合条約」は、日本が韓国に対して、軍事的強圧によって一方的 におしつけた不法・不当な条約です。(拍手)

 私は、植民地支配によって、国を奪い、文化を奪い、言語を奪い、名前すら奪ったことを、日本国民は忘れてはならないと思います。それを両国の共通の歴史認識とすることが、未来にとって重要であると考えるものです。(拍手)

 私は、4年前に初めて韓国を訪問し、西大門刑務所歴史館で追悼の献花をおこない、国会議長や与野党のリーダーと会談しました。そこで感じたのは、 36年におよぶ植民地支配の痛みの深さでした。同時に、私が、韓国のみなさんとの交流で強く実感したのは、21世紀の未来にむけて、日本との本当の友好を 願っているということでした。

 歴史は、消し去ったり、書き換えたりすることはできません。しかし、歴史に誠実にむきあうことはできます。過去の誤りを真摯(しんし)に認めてこそ、日本は未来に向かってアジア諸国民との本当の友情を得ることができるというのが、私たちの確信です。(拍手)

21世紀の日韓友好の発展をめざして

 日本共産党は、戦前の時代から、日本帝国主義による朝鮮への植民地支配に反対し、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった政党として、日韓両国国民が、真の親愛の情でむすばれた友好関係をうちたてるために、つぎの諸点で力をつくす決意です。

歴史の逆流許さず、傷跡をただす

 第一は、日本の過去の侵略戦争や植民地支配を正当化するいかなる逆行も許さないことです。また誤った歴史が残した傷跡をただすことです。

 侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題を解決し、新しい世代に歴史の真実を伝えなければなりません。(拍手)

 旧日本軍による「従軍慰安婦」問題等について、日本政府は謝罪と補償をおこない、問題の真の解決をはかるべきです。(拍手)

 先日、「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」などを韓国側に「引き渡す」方針が、首相談話のなかで発表されました。「文化財は原産国に戻す」というのは、ユネ スコの条約でも原則とされていることであり、「儀軌」を出発点として文化財が返還されることを、私は心から願っています。(拍手)

 日朝関係の正常化にさいしても、「日朝平壌宣言」にそくして、歴史問題を、核問題、ミサイル問題、拉致問題などとともに、解決すべき諸懸案の一つとして、重視してとりくむべきだというのが、私たちの立場です。

北東アジアに平和的環境をつくる平和外交を

 第二は、北東アジアに平和的環境をつくりあげることです。

 この地域には、なお緊張と紛争の要素が残されていますが、どんな問題でも「軍事対軍事」の悪循環に陥ることなく、紛争の平和解決に徹するべきで す。困難はあっても「6カ国協議」を再開・成功させ、この枠組みを地域の平和機構に発展させることが大切だと考えます。日本は憲法9条をもつ国として、こ うした平和外交にこそ力をそそぐべきです。

 韓国民団のみなさんは、「真の光復は祖国の民主的平和的統一が実現する時だ」とのべておられます。南北の平和的統一を促進する国際的環境をつくるうえで、日本は、過去の植民地支配という歴史を考えても、その重要な一端を担うべきだと考えます。(拍手)

永住外国人への地方参政権の付与をすみやかに

 第三は、永住外国人、在日韓国人のみなさんへの地方参政権の付与を、一日も早く実現することです。(拍手)

 わが党は、すでに1998年にそのための法案要綱を提案し、選挙権とともに被選挙権を付与することを提案しています。各党と意見調整をはかり、一刻も早くこの懸案の課題を実現させるために力をつくすことをお約束いたします。(拍手)

 (韓国語で)今後、韓国民団と日本共産党の交流が発展することを、心から願っております。ありがとうございました。(拍手)

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世界戦争は終戦だが、日本は「敗戦」を明確に!

2010-08-15 | 世界の変化はすすむ

終戦65周年

   平和の決意を生かしぬく日に


「とにかく終戦によって何万、何十万の人間の生命が救われたことは事実です…そう考えれば生き残ったわれわれが何をなすべきか。一人々々が真剣に考えるべき問題であることはたしかなのです」

 1963年に月刊誌が企画しテレビでもことし再現された、さまざまな立場で終戦に立ちあった関係者の座談会の中での発言です。

 きょうは1945年8月15日の終戦から65周年にあたります。戦争の惨禍に思いをはせ、平和への思いを新たにし生かしぬく決意の機会としたいものです。

戦争の記憶は消えない

 終戦までの15年間、日本は日中戦争からアジア・太平洋戦争へと、アジア諸国への侵略をつづけました。日本の戦争によるアジア諸国民の犠牲は2000万人を超し、日本国民も310万人以上が犠牲になりました。

 終戦から65年たち、戦争を体験しなかった人が大半になっても、戦争の記憶は消えてなくなることはありません。家を焼かれ、戦後も苦しい生活を 送った「被害」の体験とともに、朝鮮半島や中国での「加害」の体験からも、逃れることはできません。原爆や空襲、抑留などの被害補償とともに、強制連行な ど加害への補償は、いまも解決が求められる問題です。

 戦後日本国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(日本国憲法前文)と誓って再出発しました。文字通り「生き残ったわれわれ」としての平和への決意です。

 戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争やイラク・アフガニスタンでの戦争など、日本を戦争に巻きこむ危険な動きがありました。イラクの戦争では 戦後初めて武装した自衛隊が「戦地」に送られたこともありました。しかし、そのたびごとに国民が憲法を使って反対し、日本の軍隊が相手国の国民を殺し殺さ れる事態を許さなかったのは、国民の平和への決意が生かされたものです。

 日本を「戦争する国」に引き戻そうとする勢力はここ数年、憲法9条を改悪し、日本が軍隊を持ち交戦することを公然と認めようと画策しました。しかし国民の草の根のたたかいは改憲勢力を追い詰め選挙でも後退させるなど、そうした策動も封じ込めてきました。

 在日米軍の「再編」と称した沖縄などでの米軍基地強化の動きに対しても、沖縄では文字通り「島ぐるみ」で立ち上がり、普天間基地の無条件撤去を要 求し、県内での基地たらい回しをねらった「新基地」建設を許してきませんでした。これらも平和への決意が生かされた、特筆すべき出来事です。

反戦・平和の党として

 ことしは戦前の「韓国併合」から100年、戦後の日米安保条約改定から50年の節目の年でもあります。戦後65年を迎えた世界は、戦争ではなく外 交と話し合いで紛争を解決する方向に、大きく前進しています。人類を絶滅させる危険な核兵器をめぐっても、廃絶が世界の大勢となりつつあります。

 日本共産党は戦前の創立以来侵略戦争と植民地支配に反対して命がけでたたかってきました。戦後平和への決意が憲法に明記されたもとでも、憲法を守 りその実現を求めてきました。今後とも反戦・平和の党として、平和の決意実現のため国民とともに力を尽くすことが日本共産党の決意です。

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狂った時代は、「天皇」にマインドコントロールされた。

2010-08-14 | 市民のくらしのなかで

きょうの潮流、「しんぶん赤旗」より


 その石碑は木陰にひっそりと立っています。東京・文京区の東京ドームの片隅にある「鎮魂の碑」です。戦争で命を落とした69人のプロ野球選手の名 が刻まれています。

▼明日で終戦から65年。これらの選手を取り上げた催しが、11日に都内で開かれました。「かたり 戦火に散ったプロ野球選手」。「野球 が大好き」というタレントの山田雅人さん(49)が、戦死した3選手を「語る」趣向です。

▼伝説の剛速球右腕・沢村栄治は、2度目の召集で左手を撃ち抜かれ ます。口を突いたのが「右手でなくてよかった」。どんなときも野球が頭を離れなかったのです。

▼名古屋軍のエース石丸進一は、特攻隊として飛び立つ直前に最 後のキャッチボールをします。「おりゃぁ(俺(おれ)は)野球じゃ」と叫び、その無念の思いをボールにこめながら

▼最後はわずかプロ2打席で召集された渡 辺静。配属された鹿児島の知覧特攻基地で、なでしこ隊の女の子から人形を贈られます。「1人で飛行機に乗るのは寂しいでしょ」と。出撃前に彼はいいます。 「俺は天皇や軍のために飛ぶのじゃない。あの子が夢を追いかけられる時代がくることを願うから」

▼ときに激しく、ときに静かに「かたり」は続きました。す すり泣く声、じっとみつめる子どもたち。山田さんはこう結びます。「野球をやりたくともやれない時代があり、人たちがいた。二度と戦争をしないよう、皆さ んも語りついでください」。

平和を願う新たなエネルギーをもらった気がしました。

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もう、25年もなるのですか?早いものですね!

2010-08-13 | 市民のくらしのなかで

  日航機墜落25年

         空の安全願い追悼登山

        “会いに来たよ”


 日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520人の犠牲者を出した事故から25年を迎えた12日、遺族らは犠牲者の追悼と空の安全を願って墜落現場に登りました。


写真

(写真)墜落現場を訪れ、墓標に手を合わせる遺族ら=12日、群馬県上野村

 時おり小雨がぱらつくなか、遺族らは折り鶴や花を手に、ぬかるみに足を取られながら追悼登山。緑が生い茂る急斜面にはフルートの演奏が流れ、点在する犠牲者の墓碑には線香がたかれ、ゆかりの品が供えられました。

 墜落現場に建立された「昇魂之碑」の前では、遺族らが空の安全を祈る鐘を鳴らし、「会いに来たよ。怖かったね」などと書かれた短冊が、何枚も鎮魂の鈴とともに風に揺れていました。

“事故原因 知りたい”

 墓標に花を手向け、手を合わせていたのは、大阪府吹田市から来た男性。3歳のときに旅行会社の代理店で働いていた父親(当時33歳)を亡くしました。出張中でした。

 「彼女ができて今は幸せです」と報告したという男性。「物心ついたときには父親はもういなくて、顔は写真でしか見たことがない。母からは野球好きで仕事のできる人だったと聞いている。時々もし生きていたらどんなお父さんだったんだろうと想像します」と語りました。

 事故で息子と娘をそれぞれ15歳と12歳で亡くした横浜市の男性(70)は線香を立て、墓碑を優しくなでました。「安全のため、遺族はみんな落ちた本当の理由を知りたい。このままでは納得はできません」

 同日夜に「慰霊の園」で開かれた追悼式では、遺族らが520本のろうそくに点火。オレンジ色の炎が揺れるなか、参列者は墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうしました。

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独立していない日本への押しつけだった「安保」

2010-08-13 | 市民のくらしのなかで

  新劇人会議50年企画「アンポ丼」

                        日米安保問う


写真

(写真)人形も加わり、安保条約や新劇人会議の歴史などを朗読する俳優たち=12日、東京・なかのZERO小ホール

 安保体制打破新劇人会議は50周年企画「アンポ丼」を、12日午後2時からと7時からの2回、東京・なかのZERO小ホールで開き、合わせて約500人が参加しました。

 第1部・リーディング(朗読劇)「アンポ・de・1960―2010」(構成・演出=福山啓子)は、人形劇団ひとみ座の伊東史朗さん制作の人形 「9条君」と「おじさん」の会話を中心に展開。安保条約をめぐる動きと、滝沢修らが活躍した新劇人会議の活動の歴史を振り返りました。神山寛さん(俳優 座)、今野鶏三さん(民芸)、千賀拓夫さん(青年劇場)ら9劇団とフリーの俳優が出演しました。荒馬座が荒馬囃子(ばやし)を披露するなど、明るい舞台 に、観客からは大きな拍手が起こりました。

 第2部の「茶色の朝」(演出=鈴木龍男、音楽=日高哲英)は、その1「あしたをよろしく」(脚本=いずみ凜)では、派遣で働く若い女性の日常と不 安を描きました。その2の音楽劇「茶色の朝」(物語=フランク・パブロフ、翻訳=藤本一勇)は、理不尽に何もかも規制されていく、戦争準備の時代の恐怖を 描きました。第2部には、前田真里衣さん(民芸)、みやざこ夏穂さん(同)、飯原道代さん(俳優座)らが出演、梅本由紀さんがピアノを演奏しました。

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違反をしたら、捕まえて首にしなければ、何のための法律か?

2010-08-12 | 市民のくらしのなかで

参院選 買収・接待…

        選挙違反ゾロゾロ

           民主・自民・国民新党


 7月11日投開票の参院選で、酒食で接待するなど、票をカネで買い、公正であるべき選挙を汚す公職選挙法違反容疑(供応・買収など)で逮捕や書類 送検された陣営が民主、自民の「二大政党」、国民新党におよんでいることが分かりました。菅内閣の現職の政務官2人も含まれています。(表参照)


 候補者本人が逮捕されたのは、民主党の比例候補45人中42番目で落選した野村紘一容疑者(65)。経営する不動産会社の社員7人に選挙運動の報酬として、給与に相当する金銭を供与したとして、息子で同社役員の容疑者(29)とともに逮捕されました。

 社員はすべて女性で、選挙期間中はほぼ連日、同社関連施設で投票依頼の電話をかけていたといいますが、なかには選挙を手伝わせる目的で採用した社員もいた疑いが指摘されています。

 愛知県では、民主党の現職県議が逮捕され、議員を辞職し、すでに略式起訴され、罰金30万円を納付するという事態になっています。

 これは、金沢利夫前県議(71)。妻(67)と、同県春日井市内の飲食店で、有権者13人に愛知選挙区で初当選した同党の安井美沙子氏への投票や票の取りまとめを依頼し、みそ煮込みうどんやビールなど1人当たり1000~2000円相当の飲食接待をしたとされます。

 静岡選挙区で再選を果たした藤本祐司国土交通政務官の陣営では、2人に各約2000円の飲食を提供したとして、支援者が書類送検されました。

 自民党では、比例で再選した中村博彦元総務政務官への投票や票の取りまとめを依頼し、報酬として有権者8人に、1人当たり3000~3500円相当の酒食の接待をしたとして、兵庫県明石市の石材業の容疑者(67)が逮捕され、罰金40万円の略式命令を受けました。

 比例で落選した国民新党の長谷川憲正総務政務官の陣営では、山形県米沢市内の飲食店で2人の現職郵便局長が、10人近い元郵便局長を1人当たり5000~6000円相当の接待をしたとして逮捕されました。接待を受けた元郵便局長1人も逮捕されました。

 長谷川氏は、郵政局長、郵政審議官などを務めた旧郵政官僚。自民党から立候補、初当選した前回も、北海道月形町長が逮捕され、辞職するという選挙 違反事件を起こしています。今回、落選したうえ、郵便局長ら3人の逮捕者を出したのに、郵政行政を担当する総務政務官を続けていることが4日の参院予算委 員会で取り上げられましたが、菅直人首相は辞任する必要はないとの考えを示し、かばっています。

表
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在日韓国・朝鮮人の方には、配慮なし?

2010-08-12 | 市民のくらしのなかで

      「韓国併合」首相談話

  韓 国 各 紙 の 見 解


 韓国の新聞各紙11日付は、「韓国併合」100年にあたっての菅首相談話について、社説を掲載し、1995年の「村山談話」から前進した部分を評価する一方、歴史問題の解決にむけて日本側のさらなる努力を求めました。その内容を紹介します。

 最大紙の朝鮮日報は、「歴代の日本の総理の謝罪と反省に比べ、進展した内容が含まれている」と評価。「菅談話は基本的に『村山談話』の延長だが、 植民地支配が『韓国人の意思に反したものだった』と明記した。間接的ではあるが、首相談話としては、はじめて日本による植民地支配の強制性を認めた」と述 べました。

 東亜日報は、「併合条約が、20世紀初頭、軍事的、外交的に優位にあった日本により強圧的、不法に行われたという厳然たる事実を認めないかぎり、 両国の真の歴史和解は難しい」と主張。「『談話』の発表は、歴史問題を画期的に打開する可能性もあったが、『村山談話』を基調とし、強制性を間接的に言及 する線に留まったことで、(日本の)歴史認識の限界をあらわした」と指摘しました。

 ハンギョレ新聞は、「95年の『村山談話』以後、後退してきた日本の歴史認識を村山談話の水準に戻した点で意味がある」と評価。併合条約が最初か ら無効だったと宣言しなかったことや、教科書問題や慰安婦問題などについての言及を避けたこと、韓国と同様に植民地支配の被害を受けた北朝鮮に対する言及 がなかったこと、などの問題点を指摘した上で、「日本政府と日本社会のいっそうの奮発を促す」と述べました。

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これから100年以上歴史にたえる反省とお詫びを

2010-08-12 | 市民のくらしのなかで

                 「韓国併合」100年

     「痛切な反省とおわび」

首相談話 朝鮮王朝儀軌「引き渡し」表明


 政府は10日の閣議で、「韓国併合」100年に当たっての首相談話を決定しました。

 談話は1995年8月15日の「村山首相談話」を踏襲し、「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお 詫(わ)び」を表明しました。日本による韓国の植民地支配については、「(韓国の人々の)意に反して行われた」と認めています。

 菅直人首相は10日の記者会見で1910年の韓国併合条約の有効性について問われ、「1965年の日韓基本条約で確認された考え方を踏襲してい る」と答弁。同条約では韓国併合条約は「もはや無効」と、併合条約を調印した時点では有効だったとの歴代政権の見解を引き継ぐ考えを示しました。

 村山富市首相は95年10月5日の参院本会議で「韓国併合条約は法的に有効」と答弁。韓国や北朝鮮で強い非難の声が上がりました。

 談話は、「これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築」していくと強調。朝鮮王朝の主要行事を絵や文章で記録した古文書で、「韓国併合」 後に日本に渡った「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を「引き渡す」方針も明らかにしました。仙谷由人官房長官は10日の記者会見で、「個人補償・請求権の問題は決 着済みという前提だ」と述べました。

 民主党や自民党の一部には、65年の日韓請求権協定で決着した請求権問題が「再燃しかねない」との議論があり、今回、談話を出すこと自体、批判しています。

 民主党政権下で、歴史認識に関して政府が見解を示したのは初めて。菅首相は今回の談話を出すために、7月下旬に予定していた2010年版防衛白書の公表を9月以降に延期するなど、慎重な対応を取ってきました。


 「韓国併合」 1910年8月22日の韓国併合条約に基づき、日本が韓国を強制的に植民地にしたことを指します。日本政府は 1904年に軍事的圧力のもとで第1次日韓協約を締結。翌年の第2次日韓協約(日韓保護条約)で韓国の外交権を奪い、日本の事実上の属国としました。さら に07年の第3次日韓協約で韓国軍を解散して、内政権も奪い、10年に日本軍の厳重警戒のなか併合条約を締結しました。

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菅首相は、「核抑止力」という意味がわかっているのか

2010-08-11 | ちょっと気になるマスコミ報道

「核抑止力」発言

       首相に被爆者抗議

    核兵器肯定するのか


 「核兵器廃絶の先頭に立つ道義的責任があるとのあいさつを聞き、うれしかったが、『核抑止力は必要』と発言され、あまりの落差にびっくりした」 「二枚舌は許せない、信用できない」「政権が代わったのに昨年の麻生首相とどう違うのか。発言は取り消していただきたい」―。長崎市内で9日、菅直人首相 と懇談した長崎県内の五つの被爆者団体の代表が、「核抑止力は必要」との菅首相の発言(6日)に対して厳しく抗議しました。

 長崎原爆遺族会の正林克記会長は、「広島、日本、世界の人たちが慰霊をする日に、核兵器を肯定するような発言をしたことに、みんな泣いている」と訴えました。

 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の谷口稜曄(すみてる)会長(日本被団協代表委員)は、懇談後、「人間の体をおもちゃにされては困る。長崎に投下された原爆について政府、政治家は勉強し直してもらいたい。発言は期待外れだ」と語りました。

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世界の国々の政府が、創意を生かして広げて欲しい

2010-08-10 | 世界の変化はすすむ

    原水爆禁止2010年世界大会・長崎

核兵器廃絶条約のすみやかな交渉開始を

長崎からすべての国の政府への手紙(全文)


 9日に開かれた原水爆禁止2010年世界大会・長崎で採択された決議「核兵器廃絶条約のすみやかな交渉開始を―長崎からすべての国の政府への手紙―」の全文は次の通りです。


 人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。私は核兵器が、この世からなくなるのを、見届けなければ、安心して死んでいけません。長崎を最後の被爆地とするため。私を最後の被爆者とするため。核兵器廃絶の声を全世界に。

 ―NPT再検討会議での被爆者・谷口稜曄(すみてる)さんのスピーチ(2010年5月7日)より―

 人類史上2発目の原子爆弾が投下されてから65年、長崎に集った私たちは、その悲痛な体験をもって核兵器の非人道性を告発してきた被爆者とともに、すべての国の政府によびかけます。いまこそ「人類と核兵器は共存できない」という、この痛切な訴えに応えるときであると―。

 「核兵器のない世界」が国際政治の共通の目標となったいま、一刻も早くその実現をはかるために行動しなければなりません。核兵器を全面禁止し、完全に廃絶する条約の締結にむけ、すみやかに交渉を開始すべきです。

 いまや圧倒的多数の政府が、核兵器廃絶条約の締結を支持しています。今年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、「核兵器のない世界の平和と 安全を達成することを決議」し、そのためにすべての国が「必要な枠組みを確立するための特別な取り組みを行なう」ことに合意しました。NPTに参加してい ない国のほとんども、「核兵器禁止条約の早期締結に導く多国間交渉を開始する義務をただちに履行すること」を求めた国連総会決議(2009年12月2日) に賛成しています。

 廃絶条約の交渉開始には、核兵器国の決断とイニシアチブが、何よりも強く求められています。NPT再検討会議も、「とりわけ最大の核軍備を保有す る諸国に対し、この点での取り組みを主導する」よう促しました。主要国首脳会議=G8サミット(2010年6月26日)も、特に核保有国に対して、「核兵 器のない世界」にむけた具体的な努力に参加するよう求めています。

 国連事務総長は8月6日、広島の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」で「被爆者の方々が生きているうちに、(核兵器廃絶の)その日を実現できるよう 努めよう」と訴えました。国際政治がこの立場にたって、核兵器廃絶の期限を明確にし、具体的な行動に足を踏みだすことが必要です。

 「核兵器による安全」ではなく、「核兵器のない世界の平和と安全」こそが人類の生存を保障する確かな道です。諸国政府が被爆者の悲願に応え、私たち市民社会とともに、この共通の目標の実現にむけて行動するよう心から訴えるものです。

 ノーモア・ナガサキ! ノーモア・ヒロシマ! ノーモア・ヒバクシャ!

 「核兵器のない世界」の一刻も早い実現を!

 2010年8月9日

 原水爆禁止2010年世界大会・長崎

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国連代表は、「世界人民」を代表する人が増えてきた。

2010-08-09 | 世界の変化はすすむ

世界大会・広島の閉会総会

   国連軍縮問題担当上級代表

       ドゥアルテさんの発言


 6日に行われた原水爆禁止2010年世界大会・広島の閉会総会で、国連のセルジオ・ドゥアルテ軍縮問題担当上級代表が発言しました。


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(写真)セルジオ・デケイロス・ドゥアルテ国連軍縮問題担当上級代表

 国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長による広島・長崎両市の訪問は、現在世界で起こりつつある非常に積極的な動きの一例にすぎません。

 核兵器廃絶は、1946年1月に国連総会が採択した第一号の決議の目標です。この目標は核兵器そのものと同じぐらい古く、東西・南北の違いを超えて人々を団結させてきました。核兵器よりも強力なのは、共通の大義のもとに結集した世界の人々の連帯です。

 核兵器廃絶は非常に複雑な課題です。核兵器がなくなることに危険や不安を感じる人も多くいます。軍縮の約束が破られたらどうするのか。軍縮が普遍 的に実施されなければどうするのか―疑問を呈するのは簡単ですが、軍縮にともなう危険を懸念しても、軍縮に失敗した場合の危険は忘れています。

 軍縮が進まない一方で、どれほどひどいことが起きているでしょうか。社会・経済ニーズを満たす予算を犠牲にした軍事費の増加、先制攻撃の脅迫、ミ サイル防衛の追求、不拡散とテロ対策だけで世界的な核の脅威に十分対応できるという主張、いまや9カ国に広がった伝染性の「核抑止論」―。

 私たちの目標は、単に核兵器使用の危険を減らすとか、核兵器を入手する国を増やさないというだけではいけません。二重基準をなくし、普遍的な核兵器廃絶を追求せねばなりません。それこそが万人に真の平和と安全を保障する持続可能な道です。

 核兵器はどこにあっても危険だと私も思います。私たちは、核兵器を入手しようとする国のよしあしではなく、核兵器の本質を理由に、その拡散に反対せねばなりません。

 伝染性の「核抑止論」を克服し、共通の安全保障の強固な土台を築くことで、核兵器のない世界を達成せねばなりません。

 被爆体験を世界中の学校教育に取り入れましょう。被爆者は核戦争の人道的影響を世界に教える最良の教師です。

 潘事務総長が2008年の「5項目提案」で示したように、核兵器廃絶条約の交渉開始を核保有国に働きかけねばなりません。合意された期限内に達成する意志を宣言させましょう。

 平和市長会議は2020年を期限に提案しています。原爆投下から75年後です。2020年が時期尚早なら、いったい核兵器廃絶が達成されるのはいつになるのでしょうか。

 期限が合意されれば、各国がそれぞれ達成計画を立てるのに役立ちます。計画作りそのものを長期的目標にしてはいけません。核軍縮を単に「究極的目標」とすると、核不拡散の約束さえも究極目標とされてしまいます。

 こうした窮地に陥らないですますこともできます。潘事務総長の「5項目提案」にそった具体的進展の達成に着手すればいいのです。この提案は軍縮分 野に「法の支配」を広げる必要性を強調しています。軍縮で各国のやっていることの情報を人々が入手できるようにせねばなりません。

 核不拡散とテロ対策は確かに重要な目標ですが、核軍縮を大きく前進させることこそ、その最大の貢献になると私は考えています。核兵器の存在の問題を解決できれば、その他の問題の解決も期待できるようになります。

 毎年8月6日、世界の目が広島に注がれるとき、世界の人々の心はつねにみなさんとともにあります。私はみなさんとともに、核兵器のない世界を目指 して歩めることを誇りに思います。これは正しい大義であり、過去の被害者や将来の世代に対する私たちの共通の責任でもあります。いまこそ前進の時です。

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自民党・民主党など、財界べったりもうけ本意の政治が原因です。

2010-08-09 | 市民のくらしのなかで

    きょうの潮流


 30人が、2日後の朝は58人に。同日夕には61人。居場所の分からない100歳以上のお年寄りの数が、次々とふえています。

▼忽然(こつぜん)と 足取りが途絶え、どこかに消えた女性。「即身成仏」を願ったという、ミイラ化していた男性。推理小説さながら、いや「事実は小説より奇なり」を地でゆくで きごとに、身をつまされます。

▼一見すると繁栄をふりまく、経済大国の都市の文明。しかし一皮むけば、お年寄りが高度に整っているはずの行政の網の目からも 抜け落ち消える、不条理の闇があちこちに。いったい、お年寄りたちはどこへ? 人それぞれの事情があるにしても、孤独の気配だけは伝わってきます。

▼いま行 方不明の人たちの身の上と交わるかどうか分かりませんが、気になる事実があります。肩身の狭い思いをして生きるお年寄りが、たしかに多い。長生きしたら周 りに迷惑をかける。子どもたちにも手を焼かせ、申し訳ない。近ごろは、若い世代の邪魔になる、と考える人もいます。

▼高齢者や老人予備軍の団塊世代は雇用と か年金で恵まれ、特権をまもろうと若者を“搾取”している。そんな図式をおしつけるテレビ番組もあります。ある若者がみて、首をかしげたそうです。「おれ らフリーターだったから、親や祖父母に世話になり支えられた。番組は実感と違う」。

▼財界や政府が仕組んだ対立です。しかし、「長生きは迷惑」と思い込ませ る風潮、それをあおる政治が続くなら、お年寄りをいっそう孤立に追いやる気がしてなりません。


 お歳よりを、大切にすると言うことが、人間みんなを大切にすることです。

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世界の隅々までとどくように!

2010-08-08 | 世界の変化はすすむ

原水爆禁止2010年世界大会・広島

    広島からのよびかけ(全文)


 6日、原水爆禁止2010年世界大会・広島で採択された決議、「広島からのよびかけ」は次のとおりです。


 広島・長崎の被爆から65年―「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器をなくせ」という被爆者の声は、世界の揺るぎない流れとなっています。

 今年5月のNPT再検討会議に690万余の署名を積み上げ、1600名もの代表を派遣した私たちの行動は、核兵器廃絶を求める大波となって国連本 部を包みこみ、「核兵器のない世界」の実現は国際政治の明確な目標として再確認されました。広島の平和祈念式典に出席した潘基文(パン・ギムン)国連事務 総長も、被爆者が生きているうちに核兵器廃絶を達成しようとよびかけました。

 いま必要なのは、核兵器全面禁止・廃絶条約の交渉をすみやかに開始することです。しかし核保有国は、期限を設けた廃絶交渉に反対しています。その 根底には、核による脅迫で自国の安全を守ろうとする「核抑止力」論があります。これこそが「核兵器のない世界」実現にとっての最大の障害です。

 被爆国であるにもかかわらず、アメリカの「核の傘」のもとにある日本の在り方は、とりわけするどく問われています。日米軍事同盟の強化をねらう菅 政権のもとで、アメリカの核持ち込みを公然と認める「非核三原則」の空洞化が検討され、普天間問題でも「日米合意」による沖縄への基地押しつけが強行され ようとしています。私たち日本の運動の役割はますます重要になっています。

 原水爆禁止2010年世界大会に参加した私たちは、つぎの行動をよびかけます。

 核兵器廃絶条約の交渉開始を求める声をさらに大きく広げましょう。「核兵器のない世界を」署名をはじめ、国民の声を結集し、世界の諸国民と連帯す る多彩な行動を発展させましょう。広範な人びととの共同、自治体ぐるみ、住民ぐるみの運動をさらに発展させ、地域・職場・学園に「核兵器のない世界」を求 める強固な世論を構築しましょう。

 アメリカの「核の傘」からの脱却を日本政府にせまりましょう。「核密約」の破棄、「非核三原則」の厳守と法制化、「非核神戸方式」の普及・拡大、 「非核日本宣言」の運動をさらに発展させましょう。沖縄の人びとと思いをひとつに米軍普天間基地の無条件撤去を求め、新基地建設に反対しましょう。米軍基 地の再編強化と自衛隊海外派兵に反対し、憲法9条を守りいかす運動、軍事費削減、いのち・くらしと雇用を守る運動をいっそう強めましょう。

 被爆の実相をさらに解明し、これを学び、世界にひろめることは、核兵器廃絶条約を求める世論を強め、「核抑止力」論を打破するうえでも決定的に重 要です。被爆者の体験と思いを聞き取り、映像・活字などあらゆる形で記録して、発信・普及・共有していく運動を、「人類的な事業」としてくり広げましょ う。原爆症認定集団訴訟の成果を踏まえ、原爆被害の実態に即した被爆者行政へ抜本的に転換させましょう。

 核兵器や軍事力で平和を守るという「抑止力」論を打ち破るため、いまこそ大いに学び、国民的議論を巻き起こしましょう。被爆者とともに、そして若いエネルギーを結集し、「核兵器のない世界」の実現にむけて前進しましょう。

 ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ヒバクシャ

 2010年8月6日

 原水爆禁止2010年世界大会・広島

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世界を動かす、広島・長崎

2010-08-08 | 市民のくらしのなかで

   潘基文国連総長あいさつ

                    (要旨)


 6日広島市の2010年平和記念式典でおこなった潘基文(パン・ギムン)国連事務総長のあいさつ(要旨)を紹介します。


 私は初の国連事務総長として、被爆65周年にあたるこの平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。

 広島と長崎に原爆が投下された当時、私は1歳でした。

 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごし、炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、最初の記憶の一つとして残っています。

 それ以来、私は一生を平和のためにささげてきました。

 私が今日、ここにいるのもそのためです。私は世界平和のために広島にきました。

 私たちは65年前に命を失った人々、一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表すため、一堂に会しているのです。

 私は皆さんに、平和と希望のメッセージを送りたいと思います。より平和な世界を手にすることは可能です。

 被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。次の世代を担う皆さん、若い世代の皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。皆さんは力を合わせ、広島を平和と希望の「震源地」としてきました。

 私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。

 それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。核兵器が存在する限り、私たちは核の影におびえながら暮らすことになるからです。

 私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、国連において5項目提案を出した理由もそこにあります。

 私たちの力を合わせる時がやって来たのです。最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。市民社会にも新たな活力が見られます。

 ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。昨年4月、ワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。

 私は9月にニューヨークの国連本部でハイレベルの軍縮会議を招集する予定です。そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。 それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。

 65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびがともっています。それは平和のともしび、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。

 自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。

 炎を希望の光へと変えようではありませんか。

 核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。

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南真経寺の鐘を打つ集いに参加しました。

2010-08-07 | 市民のくらしのなかで

広島被爆65年・

私は南真経寺での鐘を打つ集いに


 広島は6日、アメリカの原爆投下による惨禍から65周年を迎えました。

 1945年8月6日午前8時15分、アメリカの爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が投下した原子爆弾「リトルボーイ」は、島外科(同市中区)上空約 600メートルでさく裂。同年内だけで約14万人が命を奪われ、生き残った人々も後遺症に苦しめられ、その苦悩は65年を経た今も続いています。

 5月に開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議では、具体的な期限は削除されたものの、「核兵器のない世界の平和と安全の達成」で一致。核兵器保有国が自国の核兵器の完全廃絶を実行することを確認しました。

 NPT再検討会議に向けた国際行動には、被爆者をはじめ世界各地から核兵器廃絶を求める市民が結集。たたかいは、被爆者の「再び被爆者をつくってはならない」の訴えを原動力に、核兵器禁止・廃絶条約の交渉・実現を求める新たな段階に入ろうとしています。

 被爆者健康手帳を持つ被爆者は22万7565人(うち広島市が7万1194人、3月末現在)、広島市内の被爆者の平均年齢は76・3歳と高齢化が進んでいます。

 新たに死亡が確認された5501人の名簿が原爆碑に奉納されます。原爆死没者は26万9446人になりました。広島市では原爆死没者を追悼し、核兵器の廃絶を願う行事が終日行われました。

 向日市では、同時刻に、南・北真経寺、石塔寺で、平和の鐘を打つ集いが行われました。

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