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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の列車に・・(中略)・・缶ビール~日光編 最終章

2006年09月10日 | 日記
土産物屋などを覗きながら 父ゆかりの最後の場所を探す

そして 見つけた

どういう関係になるのか もうほとんど他人に近いが 興亡ぶりは風の便りで耳にしていた

奥にあった蔵はまだ存在しており それが唯一私の記憶の欠片と一致するものだった

其処の跡取りは感じの良い青年だった

今の時代に生き それなりにこの土地で頑張っている様子が窺えた

よければお墓にも案内しますと言ってくれたが 既に祖母も父も亡くなった今では私は無関係に近い人間だ

こうして時が淡々と過ぎてゆくのだ

揚げ湯葉を買った

何度か口にしている店のものだ

駅近くにも食事をしたくなるような店は無かった

駅弁とビールを買って列車に乗り込み 発車を待たずに黙々と食べ グビグビと呑んだ

そして間もなく眠りに就いた

父はこの土地が嫌いだった 閉鎖的で暗く因習的だと

東京からの転校生は嫌われる

初めて誘ってくれた友達と帰宅したら あの子とは遊んではいけないと家の者に言われた

東京では耳にした事も無い民だったのだ(私だってかなり大人になるまで知らなかった^^)

社会も気候も文化も違う世界に投げ込まれて 父はそれなりにこの土地で青春の一時期を過ごした

愉しい思い出話も沢山聞いたが それでも理不尽さに耐えかねたこともあっただろう

性格が持って生まれたものだとしても この経験が父に与えた影響は大きかっただろうと想像する

気がつけば大宮で 池袋で下りるはずの私は再び眠りに就いたまま新宿まで行ってしまった

家には20時前に着いた

そしてこの夜は疲れているはずなのに 列車での居眠りが効いたのか なかなか寝付けなかった
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旅の列車に・・(中略)・・缶ビール~日光編 其の五

2006年09月10日 | 日記
次は 父の初恋の発祥地である田母沢御用邸だ

それを書く前にひとつ

明日は健康診断だから今日は禁酒であり 禁酒の私は酔っている時の私より遥かに怖いと気づいた

もう意地といおうか 半ばやけっぱちになって書いている

再び国道を歩き始めてから5分ほどで御用邸に到着した

唐破風形式の玄関がなんだかお風呂屋さんみたいだ なんて言ったら失敬か

まぁ~とにかく部屋数の多いことといったら かくれんぼをしたら絶対に探せないというほどだ

展示室の説明は実に丁寧

此処はもともと銀行家である小林年保の別邸に 赤坂離宮で使われていた旧紀州徳川家の中屋敷の一部を移築

その後増改築もあって なんていうか 江戸・明治・大正の建築文化が集合したややこしい建築物なのだ

それがものの見事に移植手術は成功し 一棟の床面積としては国内最大級の木造建築となった

しかも土台を変えた以外ほとんどが当時のままで残っていると これは説明してくださる方の受け売り

二階の窓から階下の屋根を見下ろすと 銅版の板がきれいにひと繋がりになっているのが判る

入場者の少ない時期にだけ三階部分を公開しているのだそうだが これが実は江戸期の中屋敷の一部

数奇屋風の御学問所も同じく江戸期のもの

丸窓が実に良い

撞球室もちゃんとあった

私がもし豪邸に住むとしたら絶対に欠かせないのが ライブラリとオーディオルームとこの撞球室である

壁は杉板に和紙を何枚も重ねたものであり多いところでは11層 その杉板も市松模様になっている

もともとの小林家別邸部分は京都風であったため栂が多く用いられており 桧より優雅な感じを思わせる

ま とにかく凄い

最後にきてこの一語で終わらせるというのはなんとも切ないというか 情けないのだが^^

決して以前見た迎賓館のようにきらびやかでは無いが 写真撮影も許可されているし展示の説明も丁寧

最後に庭園を拝見

防空壕があった

さぁ 帰りの電車は4時半だからそろそろ駅に戻ろう

帰りにもう一度 教会を撮った

駅の近くで何か口にできるだろうか
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旅の列車に・・(中略)・・缶ビール~日光編 其の四

2006年09月10日 | 日記
気に入ったお食事処が見つからずに 鄙びた店に入りビールだけを注文する

修学旅行のメッカであるのは昔からだが 今ではバスツアーのメニューのほんの一部でしか無いのだろう

昼食はゆば料理店 そして目的地は温泉郷

昔は この地は外国人が多く訪れる場所だった

観光は無論だが 避暑地でもあった

祖母が簡単な挨拶や会話(道を教えるといった程度の)を外国語で出来たのも この土地で育ったからだ

都合の悪い事を訊かれたりするとパードン?なんて言う とぼけたところのある祖母だった

そのせいだろう 素敵な教会があるのは

日光真光教会 建築家J・M・ガーディナーの設計である

国道120号線沿いにそれは 荘厳でいながら暖かさも兼ね備えて建っている

目に入った者の心を捉えないはずの無い教会である

ガーディナーはもともと立教学校の校長として聖公会から派遣された

間もなく職を離れて建築の勉強をしたのも 教会を建てたかったからなのだろう

日本にはいくつか彼の設計した教会があるらしい

真光教会の外壁は大谷川から採石した安山岩の乱石積であり 屋根はスレート葺

地元の部材を使用するというのは その土地に最もマッチしたものを生み出せるのではないだろうか

四角い低い鐘塔がなんとも可愛らしく また教会だということを示している

会堂から少し突き出たところが入り口で どうやら万人にその扉は開け放たれているようだ

そっと入ってみた

日曜だから朝には集会でもあったのだろうか

内部は 後で調べたのだが鹿沼石の平張りで梁は黒く塗られた木材を使用

このコントラストが強さと優しさと 簡素さと清潔感を醸し出している

美しいステンドガラスからこぼれる光は 暖かい

思わず懺悔をしたくなるような礼拝堂だ

―神様 毎日呑んだくれているこの堕天使のわたくしをお赦し下さい―

誰も居ないのを幸いと通路に寝転がって天井の写真を一枚

多くのパンフレットが置かれている中で 聖書に聴く という3冊本の小冊子を手に取った

一冊100円 素敵な教会を見せて頂いたお礼に500円を投入

去り難いような気持ちで此処を後にする

祖母の実家の家業の手伝いで 父もこの国道を自転車で走ったに違いない

この先には御用邸があり 父が東京で別れた友達と再会した場所でもある

彼の父上が宮内省勤めだった関係で偶然の事だったが 一家で父によくしてくれたという

東京が 親きょうだいの居る家が どんなに恋しかったことか 

父が この友人の姉上にほのかな恋心を抱いたのは 初恋の年頃だったとか単にその女性にというだけで無く

家族の味にも飢えていたからでは無かったかと思う

そんな切ない少年の想いを懺悔を終えたばかりの心で暖めながら それでも隙あらば何処かでビールと…

あぁ 神様 人とはなんと罪深きものなのでしょう
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旅の続編 続々UPか

2006年09月10日 | 日記
昨夜はそのつもりもないまま 早寝をしてしまった

そのせいで今朝は早起き

夜明け前の暗闇と静寂は 深夜のそれとは違った趣がある

おそらく 深夜は終わりを感じるのに対し 前者は始まりを感じるからだろう

んじゃ 何処までが深夜なんだろうと アホな事を考えた

多分 眠る前と後で分かれるね

目覚めたら何時だろうと夜明け前なんだろうと

明日は健康診断

よって今日はお酒は控えるように とお知らせには書いてあった

控えろってことは少しは良いのか と会社のノンベイがのたまわったが 婉曲な言い方なの
 
一口くらいは影響無いだろうけど それって嬉しくもないしね~

というわけで今日は一日素面だから 旅の続編を書く予定

何しろ 早く書かないと忘れてしまうから

メモリー増設出来たら良いのだけれど こればっかりはね  
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旅の列車に・・(中略)・・缶ビール~日光編 其の三

2006年09月10日 | 日記
日光といえば東照宮 陽明門や眠り猫や三猿なんかがすぐに思い浮かぶだろうけど

日光山は勝道上人によって766年に開山され 以来関東一の霊場だったのだ

補陀洛山から二荒(ふたら)山と名付けたらしい

男体山 中善寺湖 華厳の滝 大谷川 

千数百年前にこの地を踏んだら 霊験あらたかと思ったに違いない

その後空海が入山し 二荒はニコウと読めることから「日光」と改称したとか

真言宗は大日如来が本尊なので太陽と結び付けたかったのかもしれない

とまあ歴史のお勉強はこれくらいにして まずは勝道上人の像にご挨拶

これ いつからあったのだろう 見覚えが全く無かった

驚いたのは 父に似ていたこと

父は生涯で30キロも体重が上下したが 痩せている時の顔に似ているのだ

顔にかかった鳥のフンが切なかったねぇ~

深く調べると此処は面白い

二社一宮というが 輪王寺 二荒山神社 東照宮というメンバー構成

実は東照宮は 宮号を賜るまで東照社だったからなのだ

神仏分離令を無事に乗り越えられたのも 家康が神になったから

そうそう この建設の工期は一年五ヶ月 のべ一日一万人が働いた計算になる

家光は 自分のお墓も此処に作るほど おじいちゃんが大好き

いやいや 政治的な意図は十分隠されているが 今はお気楽にそう考えておこう

美意識において好きかどうかはさておき 此処は色々と楽しめるワンダーランドなのだ

霊獣たちを眺めるだけでも十分楽しめる

忠太の世界を思い出させる

此処はやはり霊山…なのだろう

家光の眠る大猷院廟(たいゆういんびょう)までの石段はけっこうきつい

下る時 これからという女性のご老人とすれ違って 思わず互いに苦笑

言わずとも判る

さて そろそろ昼食の時間なんだけどな~

喉が渇いた ビールが飲みたい
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