どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

少しずつ 冬が好きになっていく

2007年01月08日 | 日記
昨年の暮れ近く バッド・ニュースが飛び込んできた

そのせいか何となく物憂い日々だった

自分が人生を愉しむ事に何処か後ろめたさのような物を感じて 中途半端な日々だった

11年前 あの冬空の下をほぼ2ヶ月間 暗くなるまで彷徨った日々を思い出していた

昨夜から 今日は出かけると決めていた

朝になって 突然 深谷に決めた

徘徊の決め手は 目的地がある事 見知らぬ土地である事 とにかく歩く事 これだけである

ビールなら駅でもコンビニでも買える

日本煉瓦製造株式会社を見たかったが 平日しか見られないと これは先刻承知

私にとっては 当分見られないというのと同義語だ

あるいは生涯かもしれない

此処は 閉鎖後の将来が決まっていない身の上なのだから

だから 知っていて出かけた

愚かな行為だが 愚かな行為ほどまた面白いものは無い

此処でも 国道を(じゃなくてもだが)歩く人間なんて誰一人居やしなかった

比較的駅に近いところに商業高校がある

大正10年に建てられたシンメトリーが美しい校舎だ

部外者立ち入り禁止の札を無視して拝見させてもらった

深谷は澁澤栄一縁の地であるが 実を言うと私は当のご本人より 孫にあたる龍彦氏のファンだった

血洗島の事も 彼の書物の端々に登場していて馴染みはあった

もう一つ見たかったのは 国の需要文化財になっている誠之堂だった

建物は無論 施設も 説明して下さった方々も素晴らしかった

散々歩いた後で(10キロ近くは歩いただろう)行くのを迷ったのだが 駅に戻ってからタクシーに乗って行った

二度と来ない 来られないかもしれない そんな想いに背中を押された

河畔に立つ平屋の煉瓦造りの家は 傾きかけた日を浴びて美しかった

風見鶏の これは珍しい東西南北の漢字が青空を背景に見えた時 ただただ嬉しかった

今日一日がどんな旅だったか おそらく誰にも興味の無い事だろう

長い日記を書いても 読み手を退屈させるだけだ(そもそも読み手など居るのか)

だが 少し昔の徘徊の挙句に得たものに匹敵するほどのものがあった

少しずつ 冬が好きになっていく
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決して腐らない魔法の食事

2007年01月08日 | 日記
今年になってゆったりとした時間を持つことが出来たせいか 何冊か本を読んだ

体調が斜めで外出を控えた事も 一因になっている

エッセイのように短く区切られた本は 通勤や昼休み 就寝前といった僅かな時間に読むことも可能だが

小説となると一気に読みたい!

細切れの上にブランクがあると 次に手をつけるのが億劫になる

丁度 美味しい食事の最中に何度か中座しなければならなくなると 食欲が減退するのに似ている

そうして投げてしまった食事が山になって 再び私がテーブルにつく日を部屋の隅で待っている

幸いな事に この食事は腐るという事が無い

口にすれば何時でも旬という 魔法の食事である

今年は そいつらをペロリと平らげてしまおう

って これ全て 昨日日記を書かなかった言い訳だったりして(アハッ)
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