天気に変更無く 私の予定も決行することになった
ザックにお墓掃除一式と 半分凍らせたビールとお茶を入れ バケツ二個を入れた袋を持って家を出る
朝の風は半袖では少し寒く感じるが これでいいのだ
お墓に着いたら きっと汗を流すに違いないのだから
多磨駅に着いたら 駅前のいつもの店で 中村屋の木の実の月餅を三個買う
もう長く同じことをしている
途中でお花を買って 霊園の中を歩く
今まで勘を頼りに辿りついていたが 20回をすっかり超えた一人参りでそれも無くなり 道もすっかり覚えた
仕事をしていた頃 お彼岸を避けてのお墓参りでも 週末や連休だったこともあってそれなりに人は居たけれど さすがに時季外れの平日は人はほとんど居ない
すでに電車 バス 電車と乗り継ぎ 1時間はかかっている
駅からお墓まで約1.5キロ
途中の買物も含め 荷物もあるため ゆっくり歩くと30分近くかかる
たっぷり1時間半以上かかって 「とうちゃこ~」
お墓はギャフンでも ひっくり返りそうになるでもなかったが 予想範囲内の仕上がりになっていた
3時間コースだと覚悟して バケツ二個を持ってお水を汲みに行く
すでに左隣は撤去となって久しいが 今回右隣のお墓の前にも撤去予告の立札があった
警告の主は新しい都知事の名前になっており 6月末の霊園使用料が未払いだったのか 9月末の日付になっている
両隣が欠けてしまうと寂しくなるし 第一かっこがつかない
それに荷物も置けなくなる
歩いてくる途中にある大きな区画のお墓も 最近 切り分けられて そこに八つほどの墓石が建つようになった
前に やはり大きな区画のお墓で 老女が可憐な家の花だろうか それを供える姿を見かけたことがあったが そこも今日はかなり草が生い茂っていた
新しいお墓が建つ一方で 色々な事情で整理されるお墓もある
一人でたっぷり 休憩時間を除いて2時間以上やっても こんなものだ
でも すっきりと綺麗にはなった
今後の事を考えると いつかは撤去になるお墓だが 草の生えないお墓にしてもらうべきだろうかと考えた
全て終了し お線香に火をつけると そこからが語らいの時
この時間が大好きだ
地球上でたった一人になったような気がして 時の流れも 世界のことも忘れる
この世とかあの世といったことも感じない
ある意味 これが無の境地なのかとも思う
素晴らしい秋晴れの空を白い雲がゆっくりと流れていく
私がこうしてお墓参りが出来るのは生きているからだ という当然の感情が湧いてくるのは 辺り一面が死者だからなのだろうか
お線香が燃え尽きたら 私は現世に戻る
帰り支度をし 最後の確認をして もう一度手を合わせてから「また来るからね」と 挙手をして軽く敬礼
これがいつものやり方だが 今日はなぜか 最後に墓石に手を触れた
愛しい両親たちの身体に触れたかったのかもしれない
ザックにお墓掃除一式と 半分凍らせたビールとお茶を入れ バケツ二個を入れた袋を持って家を出る
朝の風は半袖では少し寒く感じるが これでいいのだ
お墓に着いたら きっと汗を流すに違いないのだから
多磨駅に着いたら 駅前のいつもの店で 中村屋の木の実の月餅を三個買う
もう長く同じことをしている
途中でお花を買って 霊園の中を歩く
今まで勘を頼りに辿りついていたが 20回をすっかり超えた一人参りでそれも無くなり 道もすっかり覚えた
仕事をしていた頃 お彼岸を避けてのお墓参りでも 週末や連休だったこともあってそれなりに人は居たけれど さすがに時季外れの平日は人はほとんど居ない
すでに電車 バス 電車と乗り継ぎ 1時間はかかっている
駅からお墓まで約1.5キロ
途中の買物も含め 荷物もあるため ゆっくり歩くと30分近くかかる
たっぷり1時間半以上かかって 「とうちゃこ~」
お墓はギャフンでも ひっくり返りそうになるでもなかったが 予想範囲内の仕上がりになっていた
3時間コースだと覚悟して バケツ二個を持ってお水を汲みに行く
すでに左隣は撤去となって久しいが 今回右隣のお墓の前にも撤去予告の立札があった
警告の主は新しい都知事の名前になっており 6月末の霊園使用料が未払いだったのか 9月末の日付になっている
両隣が欠けてしまうと寂しくなるし 第一かっこがつかない
それに荷物も置けなくなる
歩いてくる途中にある大きな区画のお墓も 最近 切り分けられて そこに八つほどの墓石が建つようになった
前に やはり大きな区画のお墓で 老女が可憐な家の花だろうか それを供える姿を見かけたことがあったが そこも今日はかなり草が生い茂っていた
新しいお墓が建つ一方で 色々な事情で整理されるお墓もある
一人でたっぷり 休憩時間を除いて2時間以上やっても こんなものだ
でも すっきりと綺麗にはなった
今後の事を考えると いつかは撤去になるお墓だが 草の生えないお墓にしてもらうべきだろうかと考えた
全て終了し お線香に火をつけると そこからが語らいの時
この時間が大好きだ
地球上でたった一人になったような気がして 時の流れも 世界のことも忘れる
この世とかあの世といったことも感じない
ある意味 これが無の境地なのかとも思う
素晴らしい秋晴れの空を白い雲がゆっくりと流れていく
私がこうしてお墓参りが出来るのは生きているからだ という当然の感情が湧いてくるのは 辺り一面が死者だからなのだろうか
お線香が燃え尽きたら 私は現世に戻る
帰り支度をし 最後の確認をして もう一度手を合わせてから「また来るからね」と 挙手をして軽く敬礼
これがいつものやり方だが 今日はなぜか 最後に墓石に手を触れた
愛しい両親たちの身体に触れたかったのかもしれない