どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ダルダルの言い訳

2017年09月12日 | 日記
朝 起きて外を見たら小雨

今日は一日 こんな天気のようだ

家事はお休みにして 本を読み ビールを飲み 昼寝をし また本を読む

晴耕雨読といえば聞こえは良いけれど 自由人である私の一日は天気に大きく左右される証拠

いや 左右されるというよりも むしろ喜んで天気の従僕になっていると思う

ん?

従僕とは 男性にしか使えない言葉?


森先生の本の中にこんな文章があった

― 自分の一生を考えてみたって、たぶん七割ぐらいは、ムダに日を過ごしてきたような気がする。それが人生の流れであった。そして、ムダなようであっても、その流れが自分の人生を、とくに自分にとっての人生の味をつくってきたような気がする。(中略)
  いい本だけを読んだり、いい映画だけを見るのは、本好きや映画好きではない。つまらない本も読むから本好きであり、つまらない映画も見るから映画好きなのだ。そして、つまらない本が本の世界をつくっているし、つまらない映画が映画の世界をつくっている。―


まったく同感である

もしもこの世からまったくムダを省こうとするなら ひとが生きている意味は無くなる

ってことを 今日のダルダルの言い訳にしようっと



コメント (4)
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