想定外という言葉が日常で使われるようになったのは 東日本大震災からだっただろうか
私はどちらかといえば心配性のほうだと思うし それは私の逞しい想像力のせいではあるけれど 先を見越して 危険を察知して行動しろという母の教え(あるいは小言)によるところも大きいと思っている
たとえば 水溶性のものを扱う時は 万が一こぼしても手間のかからない場所(外であったり 流しや風呂場であったり あるいはテーブルの上など)を選ぶか あらかじめ下に何かを敷くこと
頭の中で何が必要かを考えてから行動しろ
泥棒を捕まえてから縄をなうようなことはするな
雨の強い日には タオルや替えの靴下なども持って出ること
はては 風の強い日にはどこから何が飛んでくるかわからないのだから ぼーっと歩いているんじゃないとか
まあ これには避けようのないこともあるから無理だって と心の中では思っていたが
こうなっても ああなっても困らないようにと・・・ああ 今でも母の声が聞こえるようだ
これほどさように日々言われてきたせいか いや 姉は右の耳から左の耳に通過させていたから私の性格のせいもあるのだろうが そんなわけで私は色々と想像するくせがついている
昨今運転による事故が多いので もしもあの車が急に私のほうに向かってきたら あるいは 電車が脱線して横転してきたらどこに逃げたらよいのか あの空き地か それとも家と家との隙間だろうかなどと考えたり ぶつぶつ言う少し変だと思うような人が向かってきたら まずは目を合わせず 逃げるか 重い買い物袋を鼻にぶつけてやろうかなどと頭の中はフル回転
下手の考えだが これが休むことなく続くのだ
最近は 一人で話している怪しいやつと思うと携帯で電話をしていたり 区別がつきにくくなってきているけれど
電話では自分が思っている以上に声が大きくなっていることに 話している人は気づいていないようだ
外から家に帰ってドアを開ける時も 誰かが(まあ 泥棒さんだけど)家にいないか クレジットカードが不正に使われてはいないか なんてことは始終思っている
で なんだっけ
ああ・・・そうそう 想定外
本当は想定している人だって けっこういるんだと思う
でも 想定したからって 自分でどうにかできることとできないことがあるし だからそんなことは無いと思うことにしよう あったらあった時のことでいいや なんて思ってお茶を濁してるんだと思う
私みたいに心配性で 虫一匹や橋にも恐怖を抱くような人間は 考えだしたらキリがなく そんなに心配ならばいっそ極楽にでも行ってしまえ ということにもなりかねないのだが
水道管の老朽化と聞けばそれも心配だし ガス管は大丈夫なのだろうかとも思うが 今 一番の心配は日本の原発(廃棄物も含めた)をどうするのかということ
このままだましだましでやり続け 最後は地球を捨ててほかの星にでも移住するのか
まあ 人生の大半を生きた私が心配すべきことは もっとほかにありそうだけどね
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『心配事の9割は起こらない』という本があるが 心配だけをして何もしないのと 想定の上で行動するのとは別の話
世に心配の種は尽きまじ
上手に心配して ほどほどに想定して 出来る限り準備をして 人生逃げ切りたいものです