昨夜 早く寝たせいか 2時半に目が覚めてしまった
そのままごそごそと起きてあれこれと雑用をこなす
晴天 秋空 最高気温27℃ 湿度は低めと気持ちの良い日
これで明日からは下り坂というのだから うんもう~である
今日は粗大ごみの引き取りを依頼してある日なので 外出は控えることにして『ある葬儀屋の告白』を読み始めた
作者は 両親のどちらもが葬儀屋の家の生まれであり また父親が家業を継いでいたこともあって あまりにも身近に葬儀と死が存在する環境の中で育っていくことになる
一度は葬儀屋にはなりたくないと思い 宣教師の道を進もうとした彼だったが その過程の経験や生と死についての思考から 葬儀屋として生きようと決めることになる
そして それにまつわる目をそらしたくなるようなネガティブな面から 次第に解き放たれていく姿をこの本で描いた
対岸からがんばれと声をかけるのではなく 向こう岸にわたって隣に立つこと
寄り添い 待ち 声に耳を傾けること
人の死や葬儀は日常的な出来事ではないが しかし誰にでも必ずやってくるものであり だからこそ彼の言うように「死は生命の泉にもなりうる」のであり そう考えると日常の根底をなすものかもしれない
「さまざまな点で、私は自分の善の大半の部分を死に負っている。」
これが彼の締めくくりの言葉である
クリスチャンならではと思うところもあり 私のようなゆるい宗教観しか持たない者にとっては 一神教ゆえの箍をはめられたような苦しさを感じるし 死生観についての違いも感じるが これを読んで救われた思いの人も大勢いるだろうと思う
ところで この本にはエンバーミングという言葉が何度も何度も出てくる
その処置の説明も描かれていた
事故などで遺体の損傷が激しい時に綺麗に修復したり 色々な理由からすぐに葬儀ができない時 日本でもその処置をとることがあるらしいのだが 土葬の多いアメリカでは普通に行われることらしい
永久保存されている毛沢東もそれだと知った
腐敗を防ぐことができるうえに ほとんど生きている時と同じような姿が戻るのだそうで 日本でも理由はわからないが徐々にその数は増えているらしい
ちなみにタレントの壇蜜さんは この資格を持っているそうだ
だけど そんな処置をしたら死者との別れがますます辛くなりそうで 私は火葬だからこそで・・・それで良いと思っている