みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

詩集『くじけないで』の101歳の詩人・柴田トヨさんが永眠されました。

2013-01-22 20:28:36 | ほん/新聞/ニュース
わが家の庭でまっさきに咲いたロウバイ。
雨が止んで見てみたら、花が増えていました。

  
  ロウ細工のように透きとおってきれいです。

家の前庭の庭木には、雨が降る前に寒肥を施してやりました。
   
この季節にしてはあたたかい雨にあたって、葉色が濃くなったみたいです。

ぼさぼさに伸びていたレンギョウもすっきりさっぱり整理して、
上がり口の見通しがよくなりました。
   

雨の前には咲いていなかったビワの花が咲きました。
   
やっぱりいつもの年より遅い開花です。

応援クリック人気ブログランキングへ してね 
本文中の写真をクリックすると拡大します。

詩集『くじけないで』を書かれた詩人の柴田トヨさんが永眠されました。
101歳だそうです。

昨日のニュースで見て知ったのですが、
夜のうちに、『くじけないで』を紹介したブログのアクセスが急上昇していました。

人気急上昇:99歳の詩人柴田トヨさんの詩集『くじけないで』(2010-08-08)

けさの「中日春秋」も柴田トヨさんのこと。
もっともっと長生きして、やさしいことばで詩を書いてほしかった。



  【コラム】中日春秋  

<ポットから/注がれる/お湯は/やさしい/言葉のようだ/私の/心の角砂糖は/カップのなかで/気持よく/溶けてゆく>

▼詩人・柴田トヨさんが、九十八歳で出した初の詩集『くじけないで』に収められた「溶けてゆく」だ。トヨさんの詩はまるで疲れた人の体を温め、のどを潤すためにポットから注がれるお湯のようだ

▼その言葉が、多くの人の心の角をやさしく溶かしたのだろう。『くじけないで』と第二詩集『百歳』は合わせて二百四万部の大ベストセラーになった。百歳の人気詩人の誕生は、高齢化社会・日本に咲いた一輪の花だった

▼<私ね 人から/やさしさを貰(もら)ったら/心に貯金をしておくの/さびしくなった時は/それを引き出して/元気になる/あなたも 今から/積んでおきなさい/年金より/いいわよ>

▼これは「貯金」という詩。明治から平成へ。戦争と混乱の時代を生き抜いた一人の女性が、百年かけて、ひっそりとその胸に蓄えてきた思いの深さ、あたたかさ。東日本大震災が起きると、テレビの前で手を合わせながら、こんな詩を書いた

▼<私も出来ることは/ないだろうか? 考えます/もうすぐ百歳になる私/天国に行く日も/近いでしょう/その時は 陽射しとなり/そよ風になって/皆様を応援します>。トヨさんは百一歳で天国へ旅立った。今は、そよ風となっているだろう。


  101歳・柴田トヨさん死去 詩集「くじけないで」
2013年01月21日 朝日新聞

 90歳を超えてから詩作を始め、98歳で出版した初の詩集「くじけないで」が158万部のベストセラーになった宇都宮市駒生町の詩人、柴田トヨさんが20日、死去した。101歳だった。一人暮らしの心情を飾らない言葉でつづった作品が世代を超えて多くの人々の共感を呼び、「明治生まれの詩人誕生」は高齢化社会のシンデレラストーリーとして全国の話題になった。
 長男の健一さんの話によると、昨年から3回ほど医師から「もうもたない」と告げられたという。健一さんは「母は、そのたびにものすごい生命力をもって、一生懸命に頑張ってくれた」と話した。
 1911(明治44)年、現在の栃木市に生まれた。詩集の後書きによると、裕福な米穀商の一人娘だったが、10代のころに家が傾き、料理屋などに奉公に出た。33歳で調理師と結婚。翌年、一人息子の健一さんが誕生。1992年に夫が亡くなってからは、一人暮らしを続けた。
 詩作のきっかけは、腰を痛めて趣味の日本舞踊を断念したのを心配した健一さんの勧めだった。若いころから文芸の創作活動をしていた健一さんが毎週土曜日、栃木市の自宅からトヨさんのもとに通い、トヨさんが書きためた詩を2人で合評。一つの作品に1週間以上をかけて推敲(すいこう)を重ねていった。
 仕上げた作品が産経新聞の投稿欄「朝の詩(うた)」に掲載され常連筆者になったことで、全国にファンが生まれた。2009年秋に詩集を自費出版。翌年3月、42作品を収めた「くじけないで」が東京の飛鳥新社から出版された。
 初詩集には、老いの日々の細やかな随想や若かったころへの追想、息子への思いが普段着の言葉でつづられ、刊行の初年に90万部を超す、詩集としては異例のヒットを記録した。
 人気詩人になってからも一人暮らしは変わらず、ヘルパーの助けを借りながら、健一さんの来訪を楽しみに詩作を続けた。初詩集がベストセラーになったことを「枯れ木に大輪の花が咲きました。恥ずかしいやらうれしいやら」と語り、大好きな同郷の作曲家、船村徹さんが詩に曲をつけてくれたことを心から喜んでいた。
 船村さんは「ひたすらに生きる事の何と素晴らしい事か、貴女(あなた)は教えてくれました。一人の女として母として、ひたすらに命を重ねて来た貴女の心が『言霊』となり、人々を励ましたのでしょう。『心こそ心こそ死ぬことのない命なの』。敬愛する堀口大學先生の言葉で貴女を送りたい気持ちです」とコメントを発表した。
 産経新聞の投稿欄「朝の詩」の選者を務める詩人・新川(しんかわ)和江さんは「上手に書く人はたくさんいましたが、トヨさんの詩は純朴で人の心を打つのが特徴でした。90過ぎから詩作を始めて、花を咲かせた。何か一つでも10年やり続ければ満足したものができると、多くのお年寄りを励ましたと思います。トヨさん、ご苦労様でした」と話した。
 福田富一知事は「人生そのものを詠(うた)われた詩は、日本中に勇気と感動を与えてくれました。100歳のお誕生日をお祝いさせていただいた時の明るい笑顔が今も忘れられません。ご冥福をお祈りいたします」とのコメントを出した。 


最後まで読んでくださってありがとう
人気ブログランキングへ クリックを

記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
  


P-WANのバナーのトップページのリンクはこちらから。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月21日(月)のつぶやき

2013-01-22 01:23:21 | 花/美しいもの

【中日社説】一票は銃弾より強い/1票の格差、「自称」議員…「違憲国会」が憲法改正? blog.goo.ne.jp/midorinet002/e…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする