今日は「建国記念の日」。戦前は紀元節といった。この「建国記念日」を国民の休日に制定することに反対したのは、戦争反対を唱えた人たちである。私も行動は起こさなかったが、この休日を祝日に制定することには抵抗感があった。神社などで祝日を祝う行事が行われたが、反対派はこの祝日に反対する集会を、長年にわたって行ってきた。マスコミは必ず祝賀と反対集会を並べて報道していた。だが、年月の経過でこれらの行事は今日でも続いているものの、いつしか普通の行事として捉えられ、反対の集会もその規模を小さくしている。
紀元節が制定されたのは、明治7年で、この日は神武天皇の即位の日とし祝日とされた。夏目漱石は『永日小品』で、紀元節のエピソードを書いている。漱石の通っていた小学校の先生が黒板に「記元節」と書いた。先生がいなくなったので、漱石は記の字を記に改めた。先生は、「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても間違いではないんだよ」と言った。漱石が小学校に入ったのは明治7年である。紀元節が制定されて間もない頃のことだである。後になって漱石はこのことを回想し、しなくてもいいことをしたと自分を責めている。
紀元節を祝う日、宮中では皇族、勅任官の拝賀があり祝宴が催された。皇軍の兵士には、朝食のときに酒と折り詰めが支給され、感激のうちにこの日を過ごした。
今日、山形岳風会では、優秀吟詠大会への出場者を決める予選会が行われた。合吟では、自分の所属するチームが予選を通過し、東北大会への出場が決まった。独吟では、予選の通過はかなわなかった。聞く人へアピールできる吟を届けることの難しさをあらためて知らされた。
日記・雑談 ブログランキングへ