常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

画竜点睛

2014年02月21日 | 日記


デジカメの機能にピント合わせがある。花を撮る場合、ピントを花のなかの雌しべに合わせることも可能だ。人物撮影では、ピントをどちらか一方の目にあわせることで、豊かな表情を表現することが可能である。中国の故事に画竜点睛というのがあるが、今日のデジカメはこの故事を思い起こさせる。

南北朝の時代、南朝の梁の国に張僧繇という人物がいた。軍の将軍や地方の太守でもあったから、役人としての地位もあったが、張僧繇の名を高らしめたのはその画筆であった。山水画はもとより、寺院が多くあるこの国で仏画も得意であった。彼の画筆からはあらゆるものを生けるがごとく描き出した。梁の国の伝説的な大画家として語り伝えられている。

あるとき、張僧繇は金陵の安楽寺から、龍を画くことを依頼された。張は寺の壁に向かって力強く筆を躍らせた。黒く湧き上がる雲を蹴やぶって天に登ろうとする二匹の龍。鱗の一枚一枚、鋭く尖る爪のひとつひとつに強い躍動感が漲っている。この画を見るものは、誰もが感嘆の声をあげた。ただ不思議なことが一つあった。その龍には晴(ひとみ)が画きこんでいなかった。

街中の詮索家がその理由を知りたがった。張は答えた。「この龍に晴(ひとみ)は入れられないよ。それを入れたら、龍は寺の壁を蹴破って天に飛び去ってしまう」すると「まさか、それなら本当かどうか試しに目を入れてみろよ」という声がしきりに上がり、とうとう龍に晴を入れることになった。大勢の見物人の前で、張僧繇が一つの龍に晴(ひとみ)を入れた。すると、壁のなかから電光がひらめき、激しい雷鳴が轟いた。見れば、鱗をひらめかせた巨大な龍が壁から躍りだし空高く舞い上がっていった。

人々の驚きようは、肝がつぶれるばかりであった。我にかえって壁に目をやると、双龍の片方はすでに無く、晴を入れてない一つだけが残っていた。ありえない話ではあるが、大事な仕上げには、重要な眼目を加えることの重要さを説いたものだ。「画竜点睛を欠く」といえば、全体としてはよくできているが、大事な一点が足りないということになる。


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コメント
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