里山に登ってみると、木の枝にわずかに紅葉した葉が残っている。目を足元に落とすと、木についていたが葉が落ちて、朽ちようとしている。そこには、色即是空の世界が広がっている。いま、一瞬紅葉をきれいだと感じても、この山を去り、時間が経過すると紅葉の色はなくなり、葉を落とした木の空しい姿が立ち尽くすことになる。
色即是空を広辞苑にあたってみる。「色(シキ)とは現象界の物質的存在。そこには固定的実体がなく空(クウ)である」この仏教用語にはなにやら、難しい解説がついていて読んでもその意味はよく理解できない。瀬戸内寂聴の『般若心経』に解りやすい語り口で、この意味を解説している。「苦しみからの解放」という見出しで、「色は外側目に見えるもので、空は現象があっても、それを感じる心がなければ、ないのと同じだということです」とある。
それでは、里山に行ってその世界を色即是空の世界だというんはとんだ勘違いということになる。しかし、山が紅葉することを気にもとめず、いつの間にか葉の落ちた木々の雪の花をつけている季節の移りかわりに関心をとどめなければ、自然を愛する心を抱くこともできない。人間のそうした心のありようが、数多くの物語をつむいでいくことになる。
木の葉ふりやまずいそぐな」いそぐなよ 加藤 楸邨
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