
昨日から雨模様である。雨の日は読書、ちくま文庫の『お伽草子』を開く。懐かしい物語の現代語訳である。「文正草子」は福永武彦、「鉢かづき」永井龍男、「ものくさ太郎」円地文子、「浦島太郎」福永武彦と昭和の作家の訳によっている。どの話も子どもの頃に、祖母や母から寝入りに聞いた話ばかりである。どの話も、貧しい暮らしから、高貴な人の奥方になったり、長者になったりする話である。
戦後の明日をも知れない、北海道の開拓の村では、こんな話が子どもたちの心を捉えた。この本の解説を読むと、『お伽草子』は室町時代から江戸の初めにかけて、戦乱の時代を背景に生まれた物語群である、書かれている。この時代も、先行きは人々には知ることもできない、混沌とした時代であった。物語の主人公が、現実とかけ離れたユートピアを手に入れることで、人々の夢を実現させ見せたのだ。どの話もめでたし、めでたしで終わるサクセスストーリーが展開される。
「浦島太郎」が恩返しの亀に連れられてきた竜宮城は、桃源郷として描かれる。
「まず東の戸をあけてみれば、春の景色と思われて、梅や桜は咲き乱れ、柳の糸も春風にうつらうつらと靡くよう、なびく霞のその中から、軒近く啼く鶯の、梢はいずれも花盛り。南面を眺めれば、夏の景色と思われて、春との境の垣根には、まず卯の花の花盛り。池の蓮には露がおり、さざなみの影も涼しげに、水鳥あまた水を浴び、木々の梢は葉もしげく、空に鳴くのは蝉の声、夕立過ぎた雲間から、こぼれる声はほととぎす、その一声に夏をしらせて。西は秋と眺められ、四方の梢に紅葉したたり、垣のうちには白菊咲き、霧たちこめる野辺遠く、露もしとどに萩の原、悲しげに鳴く鹿の音に、秋の哀れは身にしみて。さて北を眺めれば、冬の景色と思われて、四方の梢はうら枯れて、枯葉の上に霜を置き、山また山は白妙の、雪にうもれて谷間の、一筋かすかにたなびくのは、心細くも賤が焼く、炭の煙と知られたる」
一部屋のうちに、どのようにして春夏秋冬を現したのであろうか。その様子を絵に描いて現し、鳥や鹿の鳴き声は見るものの想像であろうか。物語は口づてに語ったものであるから、その状況は聞くものが心に描いた理想郷であった。

日記・雑談 ブログランキングへ