常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

いろりばた

2014年11月17日 | 読書


戦後の学校で生活綴り方教室という教育があった。自分たちの生活をありのままに、作文しようというのだ。山形市山元村中学2年生を指導した無着成恭の編んだ『山びこ学校』は、この教育の生んだ金字塔であった。この生徒たちの文集をひもとくと、戦後間もないころの山村の様子が生き生きと浮かびあがってくる。

いろりばたで、学校に行っているカツエは、今度綴り方で「いろりばた」と題した作文を書くことになったと話した。兄は「にさなの、つづり方など書ぐえっか」とカツエに言った。にさというのは方言で、お前という意味だ。父が口を出して、「どれ、おれ、おせっかなあ」と言う。つまり、父が俺がどう書くか教えてやるというのだ。いろりのまわりいたみんながげらげらと笑った。カツエはまじめに、「んだら、おせろ」。この意味はそれでは、教えて、ということだ。

父の言葉を原文のまま抜書きする。
「兄つぁ、わらず作るす。姉はんは縄をなう。おっつぁ(父)はそれを見ながら腹あぶりしている。カツ子あ、おっつぁからつづり方を聞いてるす。豊七は早くねだす。すずかな(静かな)夜で、いろりの火はぼんぼんもえでいる。みんなだまって仕事したて書いてやれ」

カツエは「ほだごと書いて笑ろわれんべっ」と言ったら、父は「えまの話は本当のことだどれず。本当のこと書いたのを見て笑ろう人などえねっだな。」

『山びこ学校』には、方言がそのまま書かれている。こんな親子のやりとりひとつにも、方言はその情愛をたっぷりと含んでいる。このごろの、学校へ行っている子どもたちの話を聞くと、方言はすっかり影を潜めた。テレビやラジオのことばが、そのまま使われて聞きやすくなった。しかし、その分心の襞を表現するには、何か物足りないものを感じる。

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