常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

十六羅漢

2015年08月02日 | 登山


鳥海山が美しい裾野を海へと没していく辺りが遊佐吹浦海岸である。鳥海山の鳥海湖から笙ヶ岳へ、山の花を求めて行ってきた。だが海からの風に霧がたちこめ、見晴らしが利かず御浜小屋の人に聞いたが、道が霧で迷い易いという。そこで、笙ヶ岳を断念し、鳥海への道を進み、標高1800mを過ぎた辺りで引きかえし、吹浦海岸にある十六羅漢を見てきた。

羅漢とは阿羅漢を略してもので、修行中の仏陀の弟子ですでに悟りを開いたもの、仏陀の教えを伝える16人の高僧というこになる。サンスクリット語のため、この羅漢さまの名前はおそろしく難しい。ピンドーラ バラドゥーヴァージャと長い名前だ。ヴァージャは漢語で尊者と書き、16人の高僧は最後がすべて尊者となっている。ビンドーラは日本語で、びんずると呼ばれ、びんずる尊者、そしておびんずる様などと親しみをこめて呼ばれるようになっている。

なぜ、この十六羅漢が吹浦の海岸にあるのか。 いまから150年前の海禅寺21世住職寛海和尚の発願によるものである。寛海は浜辺の集落を托鉢して酒田の街まで往復し、1~2両がたまると石工に頼んで海岸の岩に羅漢像を彫ることを依頼した。荒海で命を失ったものを供養し、また漁師たちの安全を祈願するためである。元治元年(1864)から明治元年(1868)までの約5年の歳月をかけて22体の磨崖佛を完成させた。いまこの磨崖佛は荒波と風雨で磨耗し、16体を見つけることも容易でない。寛海和尚は明治4年7月、71歳のとき自ら守り本尊になるため、この海に身を投じて成仏した。ここには、奥のほそ道の旅で訪れた芭蕉の句碑が建っている。

あつみ山や吹浦かけて夕すヾみ

暑き日を海に入れたり最上川

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