常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

磐梯山

2015年08月09日 | 登山


磐梯山には、大噴火の歴史がある。そもそもこの山が会津富士と呼ばれ、2000mを超す、富士山のような秀麗な山容であった。深田久弥の『日本百名山』によれば、大同元年(806年)大爆発を起こして、月輪、更級の2郷48村がせき止められた川で水底に没し猪苗代湖が出現した。さらに今から120年以上前、明治21年(1888)にも大爆発が起き、小磐梯が崩落した。このときの爆風と岩屑なだれにより477名もの犠牲者を出した。また、この崩落によって長瀬川とその支流がせき止められ、桧原湖、秋元湖、五色沼ほか多数の湖沼が出現している。富士山の噴火でできた、富士五湖と同じ形成過程である。

八方台登山口で、硫黄臭の強い中の湯跡を通る。明治の大噴火前にには、山頂に上の湯、と下手に下の湯があり多くの湯治客を集めていた。大爆発は湯治していた人々をも直撃した。噴火後、唯一残ったのがこの中の湯であるが、湯量が減って閉鎖、廃墟のような湯治が残っている。



中の湯から登山道は、巻道のようなやや平坦な長い道が続く。山中は所々で風が吹きぬけ、快適な山歩きとなる。何か分からないが、野鳥の高い鳴き声が山中に響きわたる。1時間と少しで、弘法清水へ出る。ここでは、売店が2つあり、飲み物や団子などを販売している。清水は冷たく、疲れた身体にしみこむようだ。

清水から広場に出ると、櫛ヶ峰と噴火口が目の当たりだ。噴火の激しさを物語るに十分である。目を左に転ずると、天狗岩が、その先には桧原湖が指呼の間である。弘法清水が4合目、頂上は5合目になっている。これも、大噴火がもたらしたものか、勾配は急だが少しだけの頑張りで頂上に着く。頂上で持参のお握りを頬張る。



弘法清水からの下りのお花畑で可憐なナデシコを見つけた。本日の参加者5名、内女性2名。この山には10年以上前に一度登っているが、櫛ヶ峰と噴火口のカールの印象は残っておらず新鮮であった。歩行8.2キロ、登り3時間、下り2時間。晴天のゆったりした山行であった。
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