常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

北アルプス

2015年08月16日 | 読書


秋めいた気候になったと思うと、朝から空に入道雲が見える。畑の朝露のなかで、コウロギの声を聞き、黒い姿をこの目で見た。秋は行きつ戻りつしている。来週に迫った北アルプス、雲の平の山行が晴天に恵まれる予感のようなものを感じた。田部重治『わが山旅五十年』を拾い読みする。田部重治が北アルプスの双六岳から三俣蓮華岳へ登ったのは、大正2年8月のことである。その時の感動が文中に踊っている。

「それを見て私たちはあっと驚いた。あまりにも美しい姿だった。この世にこんな美しいものがあろうとは想像もしなかった。それが動いていたので、いっそう魔のような美しいものに見えた。双六岳が前面に聳えて、その側面の純白な残雪が池になだれ、波が幽かな風にゆれて動くたびに残雪が緑の宝玉のように輝やき、また、もとの純白にかえるのであった。」

双六の池に写る双六岳の残雪の美しさを、このように表現してみせた。田部重治は東京大学英文科を卒業、後東洋大学、法政大学で教鞭をとった。学生時代には、夏目漱石や上田敏の講義を聞いた。当時大学では、漱石の人気が高く、講義を聴きながら漱石の自宅へ行く学生が多かった。田部は、漱石には近づきがたく、上田の方へ近づいて行ったと述懐している。

双六の池近くにテントを張り、田部はそこから見える鷲羽山の雄姿も見ている。鷲羽山の残雪は夕べの空で、夕日を反射してルビーのように赤く光っていることのも感動している。明治から大正にかけて、山はまだまだ人を寄せつけない秘境であった。それだけに、その秘境に触れたとき人の感動は、想像を絶するほど大きい。

茫々と風吹く月の照る峰に一人息づくわがいのちなり 結城哀草果

この歌は戦後、山を愛した歌人結城哀草果が飯豊山中で詠んだものである。山の中で見る自然の姿は時代を越えて人を魅了する。
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