生前の江口文四郎氏に一度だけお会いしたことがある。もう30年以上も前のことで、読書会の講師で来られて、むら言葉についての話だったような気がするが、先生の声がガラガラで山形弁そのものであった以外はすっかり忘れてしまった。ところが、笹沢氏の『藤沢周平伝』に、江口先生と藤沢周平の交流の件がある。
藤沢周平の代表作である『蝉しぐれの』の主人公は牧文四郎である。この小説を執筆する前、藤沢は山形で江口文四郎に会っている。江口は山形文学の同人であり、山形師範の卒業生であり、地元の中学で教鞭をとる先生でもあった。その家系は戦国時代に霞ケ城の出城、畑谷城主・江口光清の後裔であった。藤沢は小説「密謀」の取材のため、畑谷城址を訪れているが、この時江口と会う機会があった。江口はすでに著名な作家であった藤沢を目の前にして寡黙であった。その時の印象を「村育ちということ」というエッセーの中で述べている。
「文四郎さんは、私の前でただ村山弁をしゃべりにくかったのだろうか、などと私はその夜の文四郎さんの、記憶に残るほどの寡黙な印象をいまも思い返すことがある。」
昭和61年7月に藤沢の小説『蝉しぐれ』の連載が山形新聞で始まった。その直前、藤沢は江口文四郎にハガキを送っている。
冠省 見事なさくらんぼを頂戴しました。おいしい上に、大きくてびっくりしました。有難うございます。今度山形新聞に連載する小説の主人公の名前に、文四郎さんの名前をもらってたので、こっちから何かさし上げないといけないのに逆だね、などと言いながら、さくらんぼをいただいています。お家の皆さまによろしく。お礼のみ。
『藤沢周平伝』を読みながら、あの名作にこんなエピソードがあったのだと、驚きもし、藤沢周平と郷土で繫がる人たちに一層親しみ感じた。私は江口文四郎氏の『やまがた民話探索』を買い、今を時おりページを開きながら、ブログの題材に使わせて貰っている。