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連日の雪である。まだ積雪には至らないが、雪は降りだすとしばらく降り続く。しんしんと降る、という表現がふさわしい。
しんしんと雪ふりし夜に汝が指のあな冷たよと言いひて寄りしか 茂吉
歌集『赤光』に「おひろ」と題して詠んだ恋の歌の連作の一首である。『作歌四十年』で茂吉はこの歌について「これも恋愛歌で、このように官能的なものもある。この女性は実在のものか、或は詩的なものか、或はどう、或はこうというモデル問題は穿鑿してももはや駄目である。」と韜晦している。この消息を知っていた友人の中村憲吉が死んでしまったと、その理由を書いている。茂吉はしんしんと降る雪の情景を好んだようで、次のような歌もある。
しんしんと雪ふる最上の上の山に弟は無常を感じたるなり 茂吉
この弟は富太郎で、やがて上京して、医師の資格を得るために勉強し、免状を取ると北海道に渡り、雪深い無医村で、厳しい自然と対峙していた人々の命を救う医者となる。北見市には、富太郎を称える「守屋富太郎記念館」がある。
もう一首。
しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり 茂吉
その時代、どこの農家にも馬が飼われていた。馬橇をひいて、新雪に道を付けたり、山道から伐り出した木材を運んだり、もちろん農作業の得難い力源として飼っていた。母屋近くで、家族同然のように飼われていた。馬と人間に距離感はなかった。「遠野物語」のおしらさまの話には、ある種のリアリティがある。