知り合いの画家、原田敬造さんから生前に頂いた「最上川の雪景色」である。雪原の青い水がゆっくりと流れる最上川は山形県の象徴と言っていい。絵に描かれ、詩人や歌人、また俳人の絶好の題材である。大好きな構図で、居間への通路壁に掛けて毎日眺めている。最上川が画家や文人の関心を集めるのは、芭蕉の存在が大きい。疎開で大石田に来た斎藤茂吉は、芭蕉の足跡を訪ねて数々の名歌をものにした。その直弟子である結城哀草果は、師の作句の現場にあって、師から学びながら、最上川を詠むことに意を注いだ。
最上川にもはら取組みし年生きてなほも取組む年を迎へむ 哀草果
昭和22年の5月5日、斎藤茂吉は本沢村菅沢の結城哀草果宅を訪ね一夜泊った。哀草果の頭には師の作る最上川の歌が常にあった。そのことを「もはら取組み」と表現したのである。「もはら」は「もっぱら」の意であろう。
最上川迂回してここに簗場ありなほ迂回する先に渡場が見ゆ 哀草果
川がその流域の人々にとっては生活の場であった。その人間の営みを川の景観に感じと取って直截に表現している。茂吉はその生活の場は、長く都会にあり、故郷の景観をいつも詠んだが、そこを生活の場にしている哀草果にとって、川の存在は大きく、自らの存在に深い影響を与えるものであった。