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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

登山歌人 結城哀草果

2017年06月03日 | 日記


山行くは楽しからずや高山の青雲恋ひて今日も山ゆく 哀草果

初夏というのに気候が落ちつかず、計画していた山行は中止になった。そこで、登山を愛し、一度の山行で65首もの山の歌を詠んだ結城哀草果の歌集を開いて見ている。詩人の真壁仁は、哀草果の登山について書いている。

「哀草果の内部の精神をささえ、高邁な芸術標高への志向をかきたてたのは、登山というきびしい行動であった。60歳台の哀草果が若い仲間たちとともに山に挑む姿は、やはり精神の圭角をみがく内面の探求の形式にほかならなかった。」

哀草果の家は、白鷹丘陵の山麓にあるが、歌人が挑んだ山は里山ではなく、蔵王、月山、朝日、飯豊、安達太良山、早池峰山のほか燧岳、尾瀬、立山など深田久弥の日本百名山に数えられている本格的な山々であった。

冒頭に掲げた歌で、哀草果は青雲という言葉を使っている。これは、山の上にある雲をさすのでなく、空の高みを言う。つまり俗世界を離れ、高潔な高みである。青雲の志とは、そうした高みをめざす志である。哀草果にとって高みとは、歌の境地であろう。

昭和40年、哀草果は73歳を迎えていた。「立山」と題する連作に、詞書がある。「8月30日・久泉廸雄、竹内実両君の案内にて3015mの立山頂上に登る」

七十三年の生甲斐ありて三〇十五米立山頂上に立つは冥加ぞ 哀草果

この日、哀草果の息子が胃の手術をしてから3日目であった。哀草果が頂上で祈ったのは、その病の平癒であった。
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