先日の白鷹山登山でウワミズザクラの花を見て、房状の白い花は小さな花の集まりであることを知った。たまたま図書館で借りていた本、清和研二『樹は語る』を読んでいて、ウワミズザクラの項にぶつかった。あの白い房状の花が、専門用語で穂状花序ということが書いてあり、ひとつ利口になったような気がした。このような偶然で、実際に見たものを本の中で確認できる、という体験はワクワクするような楽しさがある。
花が終わり、葉が傷んでくると、花のあった枝先に実が色づきはじめ、9月になると紫がかった黒に変ってくる。たちまち、群れてやってくるのはヒヨドリ。色を見て、熟しおいしくなるのを知っているのだ。その実に、不思議が宿されている。鳥たちにとっておいしい果肉のなかに、もうひとつ固い殻を被った実がある。この殻は鳥の消化液や砂嚢から守られ、消化されないまま糞と一緒に、親木から離れたところに排出される。
ひと房の花から数十個の実がなるわけだから、いくらヒヨドリが啄んでも、実の大半は親木の根方に落ちる。清和先生と学生たちが、栗駒山のウワミズザクラの下で弁当を開いた。そこには、無数の実生の芽生えが足の踏み場もないほどに生えていた。それから一年、同じ木の下に行くとあれだけあった実生の芽生えは、まばらで大部分が死に絶えていた。木から離れて歩いて見ると、親木から離れた場所ですくすくと育つウワミズザクラの稚樹を見つけた。清和先生の出した結論。「実生は親木のもとでは生き残れない。しかし、親木から離れると大きくなれる。」
これが、鳥に実を運んでもらう理由であった。同じ仲間のオオヤマザクラやカスミザクラの成木の分布が集中せずに、ポツン、ポツンと分布している理由もここにあった。子どものころ、黒く熟した桜の実を採って食べたことを思い出した。どこかほろ苦いが甘味がある。ヒヨドリや他の鳥たちが好んで食べるのも分かる気がする。