今年のノーベル文学賞はイシグロカズオが受賞した。ロンドンに住む英国籍人だが、日本人の父母を持ち、長崎生まれの日系人である。昨年だが、英語の教師をしていた友人から、イシグロの小説を奨められ、新聞の切り抜きまで送って貰っていたのが、つい読まずにそのままになっていた。そんなことがあって、友人の勧めを無視する結果となり、その作家がノーベル賞を受賞したので、二重の驚きになった。
『日の名残り』をネットの電子書籍を購入して読むことになった。一晩で読み切ってしまうような読書方法をさけ、一日に2時間ほど、コボにゆっくりタッチしながらじっくりと読んだ。イギリスには貴族の住むお城のような大きな屋敷がある。いわゆる名家だ。この屋敷に雇われ、屋敷の管理全般にあたるのが執事である。小説の主人公スティーブンスは、ダーリントン卿に仕え、その屋敷ダーリントンホールを取り仕切った執事である。その下で、多くの女中たちを使いながら女中頭ミス・ケントンが細かな家事をこなしていく。小説は、主人公がダーリントン卿に仕えた時代の回想によって展開されていく。現在形では、同じ屋敷の新しいオーナー、ファラディの執事になったスティーブンスが、かって女中頭の住むイギリス西岸の町へ、旅をして再会を果たすが、その旅のなかで初めて見るイギリスの景観や人々との感動的な出会いが描かれるが、その旅のなかでも、ダーリントン卿時代の回想に大きな部分が割かれる。
その回想のなかで語られるのは、執事と女中頭の制約のなかでのロマンスである。もし私がイギリスの歴史や文化、そのなかで大きな屋敷を取り仕切っている執事たちの社会的な地位に知識があるならば、この小説をより深い感動を持って読むことが出来たであろう。執事の要件として語られるのは、品格というキーワードである。執事が主人に仕えるということは、主人の意にかなった家事を進めなければならない。ダーリントン卿は、ドイツとの融和を進める立場で動いていたが、屋敷にいる二人のユダヤ人の女中を解雇することを決意し、スティーブンスにその実行を命じる。彼はそのことをミス・ケントンに伝え、二人に話をするから連れてくるように言う。これに猛反発したミス・ケントンは、二人が有能で解雇などは受け入れられない、もし、それを実行すなら、自分はこの屋敷を去る、と言い張る。
立場の違いをこえて、二人の心には、心に共鳴する意識があった。決して言葉には表すことのない、淡いロマンスである。仕事に没頭して、私情を後回しにばかりする執事に、諦めの心を持ってミス・ケントンは屋敷を去る。スティーブンスの旅は、そのロマンスの記憶を確認する旅であった。別れ際に、本人の言葉でそのことは確認できた。だが、もう時間を取り戻すことはできない。二日後偶然に出会った元執事だという男から、後ばかり振り向いているから気が滅入る、前を見て生きよ、と教えられる。彼の言った言葉こそ、この小説から受け取った最大の贈り物である。
「人生、楽しまなくっちゃ。夕方がいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。」
夕方が、人生の晩年を指しているのは、言わずもがなである。