赤くみごとに紅葉したコキアが見頃になっている。コキア、紅葉とくると、何か新しい植物のような気がするが、れっきとしたアカザ科の箒ぐさの仲間である。実はとんぶりといって、秋田の名産であり、乾燥して枝は括ってホウキを作って、庭の掃除に用いた。
隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり
斉藤茂吉の第一歌集『赤光』に収められた斎藤茂吉の歌である。うなぎや鯉に目がなかった茂吉だが、とんぶりもまた大好物であった。明治42年、茂吉は腸チフスに感染、7月、8月と入院生活を送っている。そのため、東大の卒業試問も一年延期せざるを得なかった。病院は、隔離病院で隣室の病人死んでいくという、生死の境を行き来する病人たちが入院していた。茂吉もまたその一人であり、そんな環境のなかでとんぶりを思い出し、食べたいという食欲を吐露している。この歌を詠んだ時点で、茂吉は恐ろしい伝染病から生還することが約されたと言っていいだろう。
『源氏物語』二帖「帚木」は、ホウキ草の別名である。古語辞書によると、昔、信濃の園原にあった伝説の木と記るされている。遠くにあるとよく見えるのに、近づいていくふっと消えてしまうという言い伝えがある。この伝説がもとになって、なかなか靡いてくれない恋人を詠む歌に使われる。「帚木」の帖では、光源氏が人妻である空蝉と一夜の契りを結ぶが、二度目に源氏が空蝉のもとを訪ねると、姿を消して逃げて、拒絶の態度を示す。源氏の「妻問い歌」、空蝉の返歌。
数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木 空蝉
数の内にも入らぬ貧しい臥屋に生えていることが恥ずかしくて、そこにいることさえできずに、消えてしまう帚木、それがわたしなのでございます