常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

枯野

2017年10月15日 | 日記


気温が低い。高い山では、風は木枯らしとなって、紅葉を進ませ、葉を落とさせる。平地でも次第に草紅葉から、枯野の風景へと変っていく。元禄7年(1694)10月12日、大阪の花屋仁左衛門の裏屋敷で、俳聖松尾芭蕉が死の床に着いていた。その床を囲んで芭蕉の臨終を見つめるのは、医師の木節、筆頭弟子其角、去来と法師姿の丈艸、惟然、や支考らであった。芭蕉はこの家で病の床に着く4日ほど前に詠んだ

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉

の句が辞世の句とされている。芥川龍之介の短編『枯野抄』は、この臨終の様子を書いたものである。医師の木節が芭蕉の容態を見ながら、「水を」という言葉を発したのに、最初に動くのは、一番弟子と目される其角である。「末期の水」は羽楊枝に水を浸して、臨死の病人の唇を濡らすことである。芥川が小説にしたのは、その瞬間に其角を襲った師の死相への嫌悪感であった。

「とにかく、垂死の芭蕉の顔に、云いようのない不快を感じた其角は、ほとんど何の悲しみもなく、その紫がかったうすい唇に、ひと刷毛の水を塗るや否や、顔をしかめて引き下がった。もっともその下がる時に、自責に似た一種の心もちが、刹那に彼の心をかすめもしたが、彼のさきの感じていた嫌悪の情は、そういう道徳観に顧慮すべくに、余りに強烈だったものらしい。」

芥川の言いたかったこと、それは死んでいくものと残されるものとの境界の差異の、直接其角の感情に訴えかけてくる大きさであったのかも知れない。
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