この年になると、旅をすることは、懐かしい顔や風景を再確認することである。同じ意味に使う客は、身を寄せるという意味である。懐かしい友人や親戚に会ったりするのは、こちらを使うのが正しいのかも知れない。北海道と流山、そして沼津への旅はまさに知古へ身を寄せ、もうこれが最後の逢瀬かも知れない別れの意味がどこかに含まれている旅であった。それだけに、いだき続けてきた感謝を吐露し、その心情を通わせることで、大きな喜びを共有できた旅でもあった。
今日、新幹線で、家に帰る。
晩に向かひて茫々として旅愁を発す
王昌齢の詩の一節である。茫々とは、ぼんやりとしてはっきりしないこと。旅愁は、つかみどころのないぼんやりととした愁いだ。おそらく、夏の万物を奮い立たせる季節が去って、枯れていくことへの憂いであろう。それだけに、そんななかで若かりしころの記憶をよびさましてしてくれる知己との再会の喜びは大きい。
話はそれるが、漢和辞典で旅の項をひくと、軍隊という意味が最初にあげられている。会意文字で旗を持って人が多く集まっていることを指しているらしい。さしづめ、旗を持った添乗員が、多くの旅人を連れて名所を案内して歩くのは、この会意文字が表していると解釈すべきであろうか。沼津漁港の朝飯食堂で、やまかけ丼を食べた。