昨日、テレビで「寅さん」の映画を見た。ヒロインは伊藤蘭で、寅さんの博打好きの友達の娘である。その友達が死んで、北海道の離島へ弔いの線香をあげに行って、その娘を知る。娘が高校を中退したので、東京で働きながら夜学に通って高卒の資格を取る希望を知り、寅さんが娘を柴又へ連れて行き、夜学に通わせるという話だ。映画の面白さに思わず引き込まれて、最後までみることになった。映画のシーンには戦後間もない、北海道の漁村や柴又の家並みが映し出されて、懐旧の念にかられた。
昨年、同級会の旅行で隅田川の船下りで宴会をし、連れ立って柴又を訪れた。映画の御前さまのいる帝釈天を見て、江戸川の矢切の渡しを見た。対岸には船が舫っており、渡し場であることが分かる。伊藤左千夫の『野菊の墓』の舞台でもある。政男は15歳、民子は17歳で幼馴染の遊び相手であった。二人が年ごろになって、周りから揶揄されているうちに恋心をいだきはじめる。小説のなかで民子は、野菊のような少女して描かれる。
「民子は田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいうところは爪の垢ほどもなかった。どうみても野菊の風であった。」
二人は野菊が大好きであった。政男が民子が野菊のようだ、自分は野菊が好きだと語ったのが、恋の告白になっている。この田舎では、年上の女を妻にするのは、いけないこととされていた。二人が好意を持っていることを知りながら、政男の母は政男が学校の寄宿舎に入っている間に、嫌がる民子を嫁がせてしまう。諦めて嫁いだ民子であったが、懐妊して流産の後、死の床に着く。物語は、民子の死という結末を迎えるが、死の床にあって、民子の手に握られていたのは、政男の写真と手紙であった。
民子の死は、政男はもちろん、政男の母、民子の父母ら残された家族に衝撃を与え、後悔の涙にくれる。報せを聞いた政男は、7日の間民子の墓に参ってその霊を慰めた。墓のあたりには、野菊が咲いていたが、政男はさらに一面に野菊を植えた。