ヘンリ・ライクロフトは実在の人物ではない。20世紀の始まりに南イングランドの片田舎に余生を送った人物として描かれるが、作家ギッシングが自らの生に擬しながら創り上げた想像上の人物である。私がこの岩波文庫に入った『ヘンリ・ライクロフトの私記』を初めて手にしたのは、高校3年生の時である。深川駅の近くにある本屋で、その深い内容も知らぬままに買ったは偶然のことであった。今、読みかえしてみても、年若い高校生が何故この本に惹かれたのか、想像することは難しい。
ただ、難しい文章の端々に、老年になったからの本を読む楽しみ、南イングランドの四季おりおりの自然の美しさを描いた部分が散りばめられていることにに共感を覚えたのかも知れない。その時から60年を過ぎてもなお、本棚にはこの「私記」と『蜘蛛の巣の家』が、置かれているのは青春時代の読書へのノスタルジーの故であろう。
あらためてこの本を読みかえして、ヘンリ・ライクロフトの余生の境地と自分のそれとのあまりにも共通する心境に驚きを覚える。
「春の光りを待ち焦がれて、私は近頃ブラインド上げたまま眠ることにしている。目がさめたとたんに空が眺めたいと思うからである。今朝、私はちょうど日の出前に目がさめた。大気は静かであった。西の方にあたって淡いバラ色の光りが漂っており、それが東の空の快晴を予言していた。雲一片みることもできなかった。」
春の光りに誘われてライクロフトは朝の散歩に出かけていく。そして一年ぶりめぐって来た春の景色を楽しみ、一年の立つのが早いことを実感している。それは一日を楽しんでいることの証でもある。この余生があと一年と言われても、けして不平は言わないと語って、この私記の完結したことを記している。