木槿
2018年08月02日 | 花
この季節、朝の散歩で目立っているは木槿
の花。そして百日紅の鮮やかなピンク。木
槿の花の盛りにあうと、ふと利休の故事が
頭に浮かぶ。利休の茶室の垣根には、この
木槿がみごとに咲いていた。利休はその花
を残らずとり払い、一輪だけ茶室の床に飾
って賓客を待った。この客こそ、利休に賜
死を伝えるために訪れる豊臣秀吉である。
道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
この句を詠んだとき、芭蕉の脳裏には、利
休の故事が浮かんでいた、と指摘するのは
『芭蕉百五十句』を書いた安東次男である。
たしかに、まる坊主になった木槿、その花
を取り払ったのは、利休ならぬ馬と言った
ところにこの句のユーモアがある。
「うまい写真」と「いい写真」ということ
を指摘しているのは、もう故人となったが
八ヶ岳山麓で雑木林を作り、ギャラリーと
レストランを運営していた柳生真吾である。
柳生はプロのように「うまい写真」は撮れ
ないが、「いい写真」を撮ることを目指す、
という。それは、撮った人の心が写ってい
る写真で、見る人も楽しいもの、と語って
いる。
やはり、今朝見た木槿の見事な花は、この
花を全部取り払い、一輪だけを茶室に活け
ることを考えた利休の美意識の深さを感じ
ずにはいられない。
果たして、今朝の一枚は、こうした撮影者
の心が写っているであろうか。