常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

地蔵

2018年08月17日 | 日記

山歩きをしていると、山姥などの日本人の信

仰の痕跡に出会うことがある。赤い帽子を被

り、胸をはだけた婆さまの石像である。この

像に詳しい人が、「これは死者が三途の川を

渡るとき、その着物をはぎ取り、川に流す。

現生で悪事を働いた者の着物は重く水に沈む。

地獄へ落ちる者と、極楽へ行くものを見分け

る役目を果たしている。現生と死後の世界の

境界にいる像だよ。」と解説してくれた。山

は死者が帰って行く場所として、古くから日

本人に信じられてきた。

 

ジャーナリストとであった小泉八雲が、出版

社の依頼で、「日本取材」のため来日したの

は明治23年4月のことである。船で横浜に着

き、最初の訪問先はお寺であった。そこで、

八雲の注意を引いたのは、寺の地獄絵に描か

れた「お地蔵さま」であった。『地蔵』には

賽の河原で、石を積む子ども亡者の話がある。

初めて見る絵の印象を語る八雲の筆致は鋭い。

 

川のほとり、幼い子供たちの亡霊が群がり、

しきりに石を積みあげようとしている。子供

の亡霊はみな、とてもとても可愛らしい。現

実の日本の子供たちのように可愛い。どの子

供も、それぞれ短い白の着物を着ている。そ

の手前の方では、恐ろしい鬼が鉄の棍棒を持

って駆け寄り、子供の一人が作っていた小石

の塔をちょうど叩き壊したところである。幼

い亡霊は、せっかく自分が作りあがたのを壊

された、その横にすわりこんで、可愛らしい

手を目にあててしくしくと泣いている。鬼の

方はせせら笑っている様子である。他の子供

たちもそばで泣いている。しかし、見よ、そ

こへ光と優しさに満ちあふれ、大きな満月の

うな後光のさしておいる地蔵がいま、やって

来る。そして神力をもった杖、“笏杖”を地蔵

が差しのべると、小さな亡霊たちは手を伸ば

してそれにしがみつき、地蔵の加護に引き入

れられるのである。いたいけな他の幼子たち

も大きな衿に摑まり、一人はこの神さまの胸

にもう抱き上げられていいる。

 

歌人斎藤茂吉も生家の隣にある宝泉寺で、懸

け図の地獄極楽図を見た記憶を歌に残してい

る。正岡子規に同じテーマの歌があり、それ

を模倣したと述べているが、東大で6年半、

英語教えていた小泉八雲のこの「地蔵」を読

んでいたとしても不思議ではない。

をさな児の積みし小石を打くずし

 紺色の鬼見てゐるところ  斎藤 茂吉

 


コメント
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