常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

坊平高原

2018年08月13日 | 日記

1945年8月、この年も坊平高原は秋の気

配が訪れていた。都会から疎開し、中学の

同級生たちと勤労奉仕に、この高原の硫黄

鉱山に合宿していたのは、後に東大で比較

文学の研究者となる芳賀徹である。ここで

の仕事は、藪を掘り起こして少しばかりの

畑を作り、カボチャやソバの種を蒔くこと

であったと、芳賀は著書のなかで書いてい

る。私が初めてこの地を訪れたのは、エコ

ーラインが開通してからのことであるが、

まだ鉱山から出た小石をうず高く積んだ山

があった。

その月の15日、作業を中断して聞いたのは

終戦を告げる玉音放送であった。芳賀の同

級生たちは、この放送を聞いて、草むらに

へたり込み、呆然として、遥か西の空に浮

かぶ朝日連峰や月山眺めていたと回想して

いる。


ぬばたまの夜はすがらにくれなゐの

 蜻蛉のむれよ何処にかねむる 茂吉

同じ日、斎藤茂吉は生家の隣へ疎開し、そ

こで玉音放送を聞いている。この放送を聞

いてから、茂吉は赤とんぼに自らの心の暗

澹とした暗さを託している。おしなべて静

かな山かひや夜の闇のなかで、じっと孤独

に耐えていた。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする