常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ブタナ

2021年06月09日 | 日記
一見タンポポのような黄色い花が、道ばたの斜面を独り占めするように咲いていた。近かづいてよく見ると、茎が枝分かれしていて、2,3輪の花をつけている。検索してみると、ブタナとある。フランスで「豚のサラダ」と呼ばれる野草だが、日本で直訳されてブタナとなった。放し飼いにしている豚が、この菜を食べるのであろうか。野草に詳しい人の話によると、今年はこの花が多く咲いているらしい。外来の野草は生命力が強く、この花が増えると芝生を枯らすこともあるらしい。だが悪いことばかりでなく、春先のブタナは食用にもなる。花をつける茎が伸びる前に、新しく出た葉は生食で、大きく成長した葉は茹でて食すことができる、と書かれている。

野に出て、知らなかった知識を増やすことは、高齢になってからの楽しみである。家にいて読む本も、あまり長編が読めなくなってきた。視力は普通にあるのだが、小さい活字が見づらくなってきた。この頃の楽しみの一つは、名言集を拾い読みすることだ。なかでも、年老いたわが身を励ましてくれる言葉を探すのが、野で花を見るように楽しい。岩波文庫に『ことばの花束』名句365というのがある。今日見つけた言葉は高村光太郎の「緑色の太陽」から

「感ずる心がなければ言葉は符牒に過ぎない。路傍の瓦礫のなかから黄金をひろい出すというよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であったことを見破る者は詩人である」

こんな言葉に出会うと、道ばたに咲くブタナが何か特別の存在のように見えてくる。
コメント
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