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雪が消えて春になると先ず待たれるのは春の花。その代表格はヤマザクラであろう。人は冬の長い眠りから覚めて、陽の光に咲く花に自分の命を重ねて愛でる。本居宣長が桜をこよなく愛でたことは有名だ。「しき島のやまと心を人問はば朝日ににほふ山ざくら花」の歌で知られる宣長だが、寛政2年71歳を迎えると、遺言を書き、自分の墓の後に山桜の木を植えるように家人に命じた。その年齢になってから、毎日桜の歌を詠んで枕もとに置き、まくら山と名付けた。その数は3百首にも及んでいる。
我心やすむまもなくつかれはて春はさくらの奴なりけり 宣長
鶴岡市の大山にある高館山に、山の花を見に行った。道端を花畑のように花盛りであったが、小さな枝のヤマザクラの、可憐な花が圧巻であった。これが、日本人のこころの故郷であることを、静かに主張している。
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イチゲにはアヅマイチゲ、キクザキイチゲと変種があるが、葉が楕円形なのがアヅマイチゲだと、吉田悟先生が解説している。この山には淡紫色のものもあるが、素人目には断言できない。イチゲと呼ぶことで、細かな葉の特徴まで視ることを避けている。山形の近郊で花の写真を撮り続けた吉田先生の言葉を胸に刻みたい。「大自然のなかでは花は点景に過ぎない。山は無限に多様で常に感動に満ちている。個々の植物の名前だけにこだわって、この大きな感動のなかに没入することができない人がいるとすれば大変残念なことである」
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山の花に魅せられるのは何故か。その植物が、山という環境に適応して、小さな生命の存在を主張しているからであろう。カタクリの花にはギフチョウが来る。色や香り、花が出す蜜。どれひとつとして、彼らが生きていくための不可欠の形である。それ故に尊く、可憐なのだ。ミスミ草は別名雪割草。この花に限ったことではないのだが、雪が融けた後に顔を出し花を咲かせる。花の色は紅、紫、白などだが、斜面全体に広がる群落はみごととしか言いようがない。好天のもとで頂上から海を眺め、登山道の足元に広がるお花畑。春の楽しみはこの花見に尽きる。
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イワウチワの柔らかいピンクも捨てがたい。尾花沢の御堂森、西川町の石見堂などで大群落を見ているが、この春は、初めてここでお目にかかった。写真にはないがカタクリも大きな群落になって山中の斜面を彩っている。
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