常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

春は駆け足

2022年04月03日 | 日記
水仙、沈丁花、辛夷などが花を開き、山では雪解けがすごいスピードで進んでいる。この季節いつも思うのは太陽のエネルギーの巨大さだ。文明がどんなに進もうと、このエネルギーに匹敵する力を持つことはできない。きのう、里山の炭沢山に登った。その名からから、この深い山中で、近隣の人々が炭焼きに入ったことを想像してみる。水と木々、人はそのために、食糧を得、火のある生活を獲得してきた。松の緑と青い空、白い雲のコントラストが春を告げている。雪が溶け、ポカポカの陽気こそ、待ちに待った季節である。

テレビで津波で全滅した海岸の松林の再生の番組があった。一本のシンボルになった松だけが残って、全滅したかっての松林に植林された松が10年を経て2mほどの木に育っている。だがその木は1000本足らずで、他の多くはまだ苗の状態で地植えされている。溶岩流などで植物が全滅した山の岩の隙間に最初に出てくるのは、苔などの蘚苔類。その枯れたものが少しずつ土を造る。わずかに土ができたところに最初に芽を出すのが松。海岸や街道に植えられた松は、日本人の生活に密着している。里山に松が残っているのは、この松の下に出る松茸があったためであろう。燃えやすい松は、人々の冬の燃料としても重宝された。里山の松は、マツクイムシのために枯死するものが多い。

松が日本人に親しまれているは常緑樹であったためと思われる。常緑の木に生命の永遠を見、その木は神の依代とされた。お正月、門前に飾る門松は、この信仰を表している。

たまきはる命は知らず松が枝を
  結ぶこころは長くとぞ思ふ 大伴家持
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