常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

合吟コンクール 銅メダル 

2012年05月06日 | 詩吟


24年度の県吟剣詩舞コンクールは、5月6日、天童市民文化会館で行われた。
わが山形岳風会男子チームは、合吟の部に出吟、3位に入賞した。このチームは、つい数年前までは有力吟者で構成され、全国優勝も3度果たした名門だ。

だが出場資格を失う高段者が増え、若返りのチームづくりを行っているが、若手吟者をチームに中々加えられずに難航しているなかでの出吟だ。加えてベテラン吟士の病気欠場などのアクシデントがあり、かっての名門軍団も順風満帆にはほど遠い状況だ。

合吟は10名の吟者が声をそろえて、漢詩を朗詠する。聞く人に感銘を与える朗詠は、その詩の情趣を強い響きで、美しい声にのせて届けなければならない。そのためには、声も個性も違う10名の吟者が心をひとつにして、細かな節まわしをぴったりとあわせて10人が一人になったように吟じる。そのために、回数を重ねた長い練習時間が必要になる。

チームが選んだ吟題は、王昌齢『出塞行』である。

白草原頭 京師を望めば

黄河水流れて 尽くる時無し

秋天曠野 行人絶ゆ

馬首東来するは 知る是れ誰ぞ

たったこの4行の詩を、余韻に節をつけてのばしながら1分40秒ほどで吟じる。
詩の意味は、白いヨモギ生える原野に立って、はるか都を望んでも都は見えず黄河の水が流れるばかりで尽きるときがない。秋空のもとはてしなく広がる原野は行き来の人の姿も絶えてしまった。そんな中、馬をこちらへ向けて来るひとがいる。都へ帰る人か、いったいだれだろう。

中国大陸の果てしなく広い原野に、たたずむ作者。都への帰心を、馬に乗った誰とも知れない人の姿がかきたてる。そんな作者の旅情を、朗吟のなかでどこまで表現できるか。それができて初めて聞く人の胸を打つことができる。

今年度のメダル獲得チームは次のチームであった。
優 勝 某楼に飲す 寒河江吟友会(女子)
準優勝 山中即事  寒河江吟友会(男子)
第3位 出塞行   山形岳風会 (男子)
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箱倉山再訪

2012年05月05日 | 日記


曇り、時おり小雨がぱらつく。きょうの山行は月山を予定していたが、80%雨の予報で予定を変更。宮城県太白区白沢峠、二輪山、ゴロ山、箱倉山の周遊コースへ行く。この山は雪の2月に登った山で、再訪ということになる。こちらの気候は快晴とはいかないが、時おり日差しもあり、気温は20℃を記録。

道は足の感覚で覚えていたが、雪景色から一転、新緑と美しい花に彩られた風景はまったく別の山であるような気がする。靴を軽登山靴にしたこともあって、足取りはスムーズだ。山桜はすでに花を落とし、かわりにヤシオツツジやヤマツツジが開き、山道を可憐なスミレサイシンが彩っていた。

二ノ輪山、ゴロ山、箱倉山の標高はせいぜい340mから370m里山だ。この山も地域の人に愛されているのだろう、道を迷わないようにテープや矢印で細かく案内表示されている。細い山道は所々にきのうの雨で足場の悪い水溜りがあったが、ヤブなどはなく、腐葉土が全体を覆いクッションがきいて歩きやすい。里山にはどこか人の暮らしの匂いがついていて、私には懐かしい気がする。



ゴロ山頂上からの眺望がこの日一番の絶景であった。近景の新緑、その向こうに山桜や薄みどりの木々が広がり、またその上空に泉ヶ岳の勇姿が浮かび、左に目を転ずると戸神山の頂がすぐそこである。

連休の最後の休日のためか、48号線から仙台方面へ向かう車がひきを切らない。だが、この里山の春景色を満喫したのは、我々のグループだけで、山中で人に会うこともなかった。山道にツバメオモトの葉が群生している。この花が咲けばさぞかしキレイだろうと、想像しながら歩く。

歩きながら考えることは少ない。ふと目にした風景に感動していることの方が多い。頭をよぎるのは畑の植え付けの手順だったり、昔の思い出だったりする。子どものころ、母に連れられて山に蕗を採りにいったことがある。母がせっせと蕗を採っているむこうに、蛇が何尾もとぐろを巻いている。「蛇だあー」と叫んだのは、夢であったのか、現実であったのか記憶はすでに朦朧としている。

鳥の声が突然に聞える。藪のなかで、かさかさと音がする。すぐに蛇を連想するが、後ろからきた人が、枯れ枝を道の外へ片付けている音であることに気づく。体中にやすらかなここちよさがゆっくりと広がっていく。難所の恐怖感もない、里山歩きの醍醐味だ。



箱倉山の頂上だ。登頂記念の柱が立っている。曰く「初登頂記念」「10周年記念」「キャンプ登山」。麓の小中学校の生徒たちの歓声があたりに響いているような気がする。「箱倉山、地形図で見ると四角な山なんだね」とTさんが言う。

箱倉山からの下りは急勾配であった。雑木林の下に、ブッシュ状の伐採跡が広がっていた。ここにゼンマイが群生していた。しばらくの間、ゼンマイ採りになる。ゼンマイは雪が融け落ちいく斜面に多く自生するが、沢でもない斜面に出ているのは珍しい。

総歩行距離6km、歩数13000歩。歩行時間3時間の山行であった。


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ウォーキング

2012年05月04日 | 農作業


気温16℃、霧雨のなか階段に変わってウォーキングに出かける。ここ数日の雨天で、新緑が一段と美しくなっていることに気づく。階段では味わうことのできないウォーキングの魅力だ。目が周囲の緑に洗われるような心地がして爽快だ。いつしか、霧雨が上がった。

向こうの山は、雨上がりの靄に霞んでいる。朝の雨上がりは、ことのほか物がいきいきとして見える。デジカメと歩数形を持参した。デジカメは気に入った景色を撮影して、ブログのカットに使いたいと思った。

ところどころに家庭菜園があり、野菜の苗や種を蒔いたらしい畝が見える。デジカメを出してニンニクの伸び具合を写した。我が家のものと比べてみたいからである。カメラを持っていると、なにか面白いものはないか、と周囲に目配りをする。



先方に犬を連れて、朝の散歩をしている人がいた。もう老年の犬らしく足はガニマタである。背中には雨よけの合羽を着せられて、ヨロヨロとした感じで歩いている。ちょっと微笑ましい光景である。



やがて芸工大の建物に着く。伝統館と名付けられた能舞台が、ひっそりとたたずんでいる。ここで年に一度、黒川能が上演される。ずっと見てみたいと思いながら、まだ一度も見ていない。黒川能は庄内は櫛引に伝わる伝統芸能である。その年の豊年、豊穣を祈って神に奉納する農民芸能である。

GPSを持ってきたのは、機能の使いこなしに習熟するためだ。散歩の軌跡を、マップ上に表示せてみたいと思った。首にかけたデジタルツールが3点、いま散歩という人間の一番アナログな働きを手助けしようというのだから、なんとも滑稽なことである。

こんな詩を知っている人はもう少ないかも知れない。

楢の若葉    大木 実

あれは

何という木だろう

いま生まれたばかりのようなうすみどり

梢梢に揺れながら若葉は花のようだ

花のように美しい

「楢の若葉だよ」

友はこたえながら

「君は何も知らないね」と笑った

本当に私は何も知らない

木の名も

草の名も

それは私が街で育ったためだろう

そして草や木の美しさを知らなかったためだろう

私は知りたい

目に沁みる 楢の若葉よ

世界はいつからこう美しかったろう

そしてそれは何故だろう
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春夜 雨を喜ぶ

2012年05月03日 | 日記


好雨時節を知り

春に当たってすなわち発生す

風にしたがって潜かに夜に入り

物を潤して細やかにして声なし

唐の詩人、杜甫は春の雨をこんな風に詠んだ。そんな小糠のような雨が夕べから午前にかけて降っている。気温13℃、最高気温も20℃に届かぬとの予報だ。昨日、移植したウルイやニラ、蒔いた種を思うと、連休中の雨だが乾燥が続いていただけにうれしい。頭を出し始めたアスパラや、山で出始めたわらびも伸びるだろう。

新聞の投書欄に、ワラビの初物を食べると75日長生きするという話が載っていた。俗信に初物を食べたら東を向いて笑うと健康になる、というのもある。この一週間、毎日のように初物が食卓にのったような気がする。今朝の食卓には、ワラビの一本漬けがのった。

タケノコ、アスパラ、ニラ、五月菜、ワラビ、行者ニンニク、花ワサビ、蕗、コゴミ・・知り合いの方からのいただきものがほとんどで、ただその厚意に感謝するばかり。ひとつの初物で75日とすると、実にこの一週間で675日も長生きできることになる。

だが、今年は春が遅いだけに、一速とびに初夏になっててしまった。山菜にしても、春が深まるにつれて収穫する種類も異なり、順々と初夏へたどりつくのだが、山はいっせいに春たけなわとなり、山菜の季節はまたたく間に過ぎ去るだろ。畑への植え付けもまたいっせいとなる。それだけに今年の春は忙しい。

義母は屋敷周りに生え始めた雑草を気にして、覚束ない足で暑いなかで草取りをする。それでは危険なので、きのう、小一時間ばかりかけて家のまわりをきれいにした。老化していく速度と、ほとんど停滞してしまった意識のギャップが埋められない。一人で生活できないという現実を受け入れられず、がんばろうとするところに苦しみがある。

介護はそれらをすべて了解して、できる支援をしていくことだ。
介護制度はまだまだ複雑な多様性を持つ個別ケースに対応できていないように見える。制度の変更も、事務手続きばかりが優先されて、個別ケースをどうするのか答えはみつからない。


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ニラ

2012年05月02日 | 農作業


曇り、最高気温22.1℃。農作業、種まき。春菊、春大根、アスパラ菜、小松菜などを畝たてしたところへ筋条にに蒔く。ウルイ移植、そしてニラの刈り取り。気温、風の状況とも農作業に適して3時間ほどの作業がはかどる。妻との共同作業だったが、畑の草取り、耕し、施肥など基本的な作業ができた。

札幌のM君から電話。きょうの札幌は26℃、桜満開、芝桜など色んな花がいっせいに開花したという話である。まだ、山形県内で桜の開花がまだだというのに、はるか北の地での開花は珍しい現象だ。北から寒気をつれて来る偏西風の曲線と、南からの暖気が北にある低気圧へ流れ込むという現象がからんだ列島ちぐはぐ気象である。

ククミラというのがニラの古名だ。漢字を当てると茎韮である。この辺りではニラボンボというが、花茎が立ったニラのことをさしている。ニラもわらびと同様に早くから食用とされて、野生のものを栽培したものと思われる。

万葉集にククミラの歌が見える。

伎波都久の 岡の茎韮 我れ摘むめど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね

東歌の巻で、韮を摘みながら女たちが、掛け合いでこんな歌を歌いながら戯れた。わたし、この岡のニラをせっせと摘んでいるんだけどなかなか貯まらない、あんた、いい人と一緒に摘んだら籠はすぐいっぱいよ。
この歌の面白さは、ニラのおいしさが人々に共有され、ニラを食べて男も女も元気になれるという食文化がすでにあったことを物語っている。



春のニラの一番取りは本当においしい。何度も引用させてもらって恐縮だが、辰巳浜子の随筆はすばらしい。(『料理歳時記』)

「朝の味噌汁の豆腐がひらひらと浮き上がる瞬間、きざんだにらをひと握りほうり込んで、煮立ちばなに七味をふって召上ってみてください。急に元気がみなぎるようです。」

わが家では、ネットレシピ(クックパッド)をみて、「塩麹できゅうりとニラの酢の物」を作ってみた。定番の卵とじやお浸しはもちろんおいしいのだが、クックパッドには定番に一工夫があるのがうれしい。万葉の時代からある食材を自ら栽培し、現代の食文化に挑む方法としてネットの力を借りる、これが私の流儀だ。
もちろん、その味は深く、身体の底から力をもらうような気がする。


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