晴れ。台風一過のおだやな陽気。
那須塩原温泉へ出かける。娘夫婦と孫、先方の両親と約2年ぶりの再会である。ガーミン社のGPSのナビで高速道を塩原温泉に直行する。
塩原温泉卿は明治17年に塩原街道が開かれるて、塩原11湯として知られるようになった。尾崎紅葉、夏目漱石、斉藤茂吉、田山花袋などの文人が訪れ、この地を舞台にした作品が生み出された。
国道400号は、次第に山地へ向かう。渓谷に沿ってカーブの多い山道を過ぎると、トンネルがある。渓谷に沿って設けられている散策路で、清流の景観を楽しむ観光客の姿があった。初めて訪れるところだが、目前に那須山地が迫り、思いがけない景勝地である。
この街道を開いたのは、土木県令で名高い明治の三島通庸と知って感慨深いものがあった。通庸は山形県令時代に栗子隋道、関山隋道を開いた人物だからだ。
私たちが泊まったホテルは那須塩原ホテル。塩原温泉郷の中心地に位置する。リザーブされた7階の部屋は、落ちついた和室、窓からは林の向こうに、山地が広がっている。2年ぶりに再会した懐かしい顔、なかでも孫の成長と爺婆世代の健在がうれしい。
部屋で小憩ののち、温泉の北を流れる箒川沿いの散策路をみんなで歩く。川の対岸にも山地がせまり、緑が豊かである。
那須山地を下ってくる箒川は急流だが、水はあくまできよらかで、釣竿を手に肴を追う釣り人の姿も見られた。岩魚か、はたまた鮎か。午後の日差しが温泉地にあまねくそそぎ、
いつか旅愁に浸っていた。
ホテルの裏側に源三窟と呼ばれる史跡鍾乳洞がある。ここは源義経の腹心であった源有綱が頼朝軍に追われて、この洞窟に隠れ住み、お家再興を図った跡とされ、武士が米をとぐ姿が再現されている。雨水が地下の石灰岩を溶かしてできたの空洞が、この鍾乳洞であるとパンフレットには解説している。
ホテルの夕食。メインデッシュは和牛の陶板焼き、生姜の釜飯。2年ぶりの再会で会話が弾む。健康談義、震災の話、原発の話、孫の進路などなど。娘のおしゃべりが座の中心になっている。いつの間に、こんなおしゃべりになったのか。
食後爺同士で囲碁の対戦、1勝1敗の平和なドロー。長距離運転の疲れも、温泉で流されここちよい眠りにつく。