常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

木の精

2012年06月17日 | 日記


曇り、時々晴れ、風やや強い。畑仕事は除草、トウモロコシの追肥と土寄せ。ジャガイモの土寄せ。本日の収穫、アスパラ、ホウレン草、シュンギク。昨日の雨は思ったほど土にしみこんでいない。

新緑だというのに、山の木が枯れる現象が目立っている。松枯れが問題になって、もう数十年になるが、最近ではナラ枯れが県内の山でも見られるようになった。この原因はマツクイ虫やカシノナガキクイ虫が媒介する伝染病であるという。

枯れた松やナラを見ると、木が悲鳴をあげているいるようで痛々しい。ただ、虫が異常に繁殖しただけでなく、人と山との関わり方にも原因あると指摘する識者も多い。木を燃料にし、住宅や家具の素材として利用していた時代には、20~30年ごとに木を伐採してそのあとに木の苗を植えて山を新陳代謝させて来た。若く生命力の旺盛な森林は、今のような伝染病にも強い。

ところが、石油が普及し輸入財が安価で入手できるようになって、日本の森林は放置されるようになった。かって植林した里山の杉や松は、もう50年も人が入らず老化している。マツ枯れもナラ枯れも40、50年の木がやられている。かっては豊富に採れていたマツタケが、すっかり採れなくなった原因にも通じている。

古来、日本人には老木や巨木には精霊が宿るという信仰が存在した。人がむやみに木を切ると祟りがあると言い伝えられてきた。

近世の話であるが、
「江戸の若松町の組屋敷に大銀杏があって日当りが悪いので杣びとに枝を払わせた。するとどうしたことかこの杣びとはまっさかさまに木から落ちて大怪我をした。払った銀杏の枝からは血が流れ出たので、人々はお化け銀杏と言って恐れた。

山形の千歳山には松の木伝説がある。阿古耶姫の恋人が松の精で、近くの川に橋を架けるため私は切られて死んでいくと、姫に訴えて死んでしまう。これを悲しんだ姫は、伐採された松の跡に新しい松を植えて、「切るなかれ」と書いて松の霊を弔ったという。

また江戸の芝付近で大火があり、火除け地をつくるため区画の整理が行われた。先達を勤める侍の屋敷を移転することになり、屋敷にあった松の大木も一緒に移すべく、人夫を雇って根回しをした。翌日になって移そうとすると、根回しが不思議に元通りに埋まってしまっていた。

これでは侍は、この松は切るしかないと思ったが、ある人がこの松を自分に譲って欲しいと申し入れた。そこで侍が、松に向かって「お前が欲しいといってくれる人がいるから、掘りうごかすのだ。そんなに嫌がっていると切るほかなくなるぞ」といい含めると、今度は何事もなく移すことができた。

人と木とのこんな迷信のような話が生きていたのは、つい数百年前である。荒唐無稽なものとしてこれを葬ることもいまでは、当たり前であるが、枯れた木々の悲痛な姿を見てこんな信仰に生きた人がいたことへ思いをはせるべきではないだろうか。
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梅雨

2012年06月16日 | 読書
午後小雨。雨の予報をうけて今週の山行は中止。妻は太極拳の研修で仙台に行く。
梅雨といっても、今年は雨が少なく、乾燥注意報が出るほどだ。今週末から、どうやら本来の梅雨の季節になりそうだ。

梅雨はウメの実が実るころに降る雨だからなづけられたという説があり、黴雨のことで雨の湿気で黴が生えやすいからという説もある。梅雨といえばうっとうしい、という実感を持つ人が多いようだ。

雨の場面を巧みに取り入れた小説がある。永井荷風の名作「濹東綺譚」である。
玉の井の盛り場をぶらぶらと歩く男がいる。

「ポツリポツリと大きな雨の粒が落ちて来る。五月雨である。静かにひろげる傘のしたから空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方から『檀那、そこまで入れていってよ。』といいざま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。」

女の家で
「『縁起だからご祝儀だけつけて下さいね』『ぢゃ一時間ときめよう』と男が言う。
雨は歇まない。初め家へ上がった時には、少し声を高くしなければ話が聞きとれない程の降り方であったが、今では戸口へ吹きつける風の音も雷の響も歇んで、亜鉛葺の屋根を撲つ音と、雨だれの落ちる声ばかりになっている。路地には久しく人の声も足音も途絶えていたが、突然、『アラアラ大変だ。きいちゃん。鰌が泳いでるよ』という黄色い声につれて下駄の音がしだした」

私娼の家が立ち並ぶこの界隈は、家と家が密集し、雨が降ると前の小堰があふれて鰌が道に飛び出したのだろう。
迷路の魔窟といわれた玉の井はいまその俤はない。東向島5丁目、6丁目辺りがその跡地であるが、すっかり現代風の街に生まれ変わっている。

永井荷風は歩く人であった。たしかに時代は今のように交通機関が発達していないため、歩くことは当たり前のことだが、荷風はそれを趣味とし、街の様子を見、江戸の風情を求めて歩くことで、小説の想を得ていた。一人暮らしの時代には、昼過ぎに家を出て、行きつけの食事処で食事をし、方々を散策して帰るのは6時過ぎであった。時間にして6時間、距離にしておよそ10kの行程である。

昭和15年12月、荷風は浅草に出てその雑踏の様子を日記に記している。
「銀座通りより新橋停車場にかけての雑沓には、我勝に先を争はむとする険悪の風著しきに反して、浅草公園より雷門あたりの雑沓にはむかしながらの無邪気なる趣、今に猶失せやらぬところあり、観世音の御利益ともいふべきにや」
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ストレプトカーパス・サクソルム

2012年06月14日 | 日記


梅雨に入って、紫の花が咲き始める。ひときわ輝きを見せるのは、紫陽花である。
紫陽花が日本古来の種であることは、この花が万葉集で詠まれていることからもわかる。それゆえ、寺院のある古都京都に似合う花である。

あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを
  いませ我が背子 見つつ偲はむ (巻20・4448)

京都府井出町地福寺境内には、橘諸兄夫妻の供養塔があり墓もある。歌は八重に咲く紫陽花の花のように、諸兄へ弥栄を寿ぐ歌である。

紫陽花の花は、飾り花で実を結ばない。花に見えるのはがくで、4、5枚ある。がくは咲きはじめは白く、やがて青になり、しだいの青紫に変化する。こんなことから「七変化」とも呼ばれる。



わが家のベランダには、紫陽花ならぬサクソルムの花(写真)が満開である。一つの花茎から、2,3輪の紫の可憐な花をつけ、こちらはしっかりと実を結ぶ。原産地は南アフリカはタンザニア、ケニア地方である。イワタバコ科で同じ科のセントポーリアは花を咲かせるのは、なかなか難しいが、サクソルムは比較的簡単だ。但し、鉢植えでは根が廻りすぎると、花が咲かなくなるので、植え替えなどしっかりとした管理が必要だ。

ストレプトカーパス・サクソルムは園芸種として、昭和初期にイギリスから輸入された。花言葉は主張。ストレプトカーパスとは牛の舌の意味だ。そういえば、花びらがどこか牛の舌に似ている。

紫陽花の咲く里へ出かけるまえに、ベランダのソクソルムの花で一時癒されていたい。


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散歩の途中で

2012年06月14日 | 日記


畑仕事が忙しくなって、散歩のパターンも変化し始めた。
乾燥した日が続くと、迷わずに自転車にまたがって畑へ行く。片道20分、畑の水遣りと除草などで1~2時間。伸びた野菜を収穫する。

次のパターンは千歳山。自転車で山の麓まで30分、山頂往復1時間、約2時間弱のパターンだ。3番目は、家を出て芸工大方面へ、街路を約1時間20分周遊する。
今日はこのパターンだ。街路樹にヤマボウシが植えられていることを知るのはこの季節だ。梢に大きな星型の白い花を一面につけるから、いやでも道行く人の目を引く。

街路樹の下を通って、小学生が三三、五五集団を作って登校する。余り話し声もせず、学校を目指して黙々と歩いている。すると、後方から前の集団を追いかけるグループが、声を立てて走ってくる。黙々と歩くグループと対照的に笑い声で話しながら駆けている。ふと、娘たちが小さい頃、家の前を列を作って登校していたころを思い出す。子どもたちが出て行ったあと、わが家に来て朝のお茶を飲むのが毎日の習慣であった。

芸工大の正面に一枚の看板があった。「異人たち」と題する看板は、6月30日まで7階ギャラリーで開かれている美術展のテーマであった。階段を下りると、また、一枚のポスターが目を引く。「生涯学習支援プログラム」と題する、地域の高齢者にむけた市民講座の案内であった。どんな内容だろうか。ふと興味が湧く。

一匹の犬を連れた初老の男性が、和綴じの本を片手に、なにやら声を出している。近くにいくと、ぴたりと声がやむ。しばらくたって、また男性の声が聞える。謡曲である。

花の雲路をしるべにて。花を雲路のしるべにて。吉野の奥を訪ねん。
これは都がたに住いをる者にて候。さてもわれ春になり候えば。ここかしこの花を
一見仕り候。

街路樹のの陰から公園に行く路で、謡の声が低く響く朝の光景は実にのんびりとして、きょうの一日をゆたかな時間にかえる魔法のような一瞬であった。
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シシウド

2012年06月13日 | 山菜


きょう、笹谷峠にシシウドを採りに行った。
シシウドはセリ科シシウド属の多年草で、山中の湿った谷沿いに分布する山菜である。別名アマニュウ。海岸の塩をかぶらない暖地に出る明日葉は同じ属の仲間である。山菜で人気の高いウドは、葉の形は似ているが、こちらはウコギ科で全く種類を異にしている。

私は山菜入門というブックレットで、シシウドについての知識を得て月山で採ったことがあった。当時、伊豆のアシタバが健康にいい野菜だということがテレビで紹介され、八百屋さんからアシタバがなくなるという現象が起きていた。きっと、このシシウドも食べられるに違いないと思って、茹でておひたしにして口に入れると、何とその灰汁の強いこと、口中がしびれるようではき出してしまった。

それから、しばらくして山中でシシウドを採っている人に出会った。葉を取り、つるんとした茎を一抱え大事そうに持っている。聞いてみると、大好きな山菜だという。「これは、さっと茹でて灰汁を抜くのよね。炒めに煮にするととても美味しいよ」

山菜の王様と言われるウドが見つけづらく、中々採りづらいところに出ているのに比べ、シシウドは山道から見えるところにいくらでも自生しているし、何しろこれを採る人はめったにいないので、誰に遠慮することもなく採り放題なのだ。笹谷は霧雨で気温は13℃と、肌寒く、ときおり強風が吹きぬけた。小一時間で、妻と二人で抱え切れないほどのシシウドが手に入った。



さっと茹でて、水を張って灰汁を抜いている状態のシシウドである。1~2日、灰汁が抜けて色の変わった水を半日おきに取りかえ、皮をむいてフキのようにナナメ切りにして炒め煮にする。コンニャク、サツマアゲなどを加えた煮物がより美味しい。

ネットの検索で調べると、生で味噌をつけて食べたり、古い根を干して風呂に入れて薬湯にするなど、シシウドは古くから用いられてきたことがわかる。
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