常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

奈良の都

2014年02月05日 | 詩吟


今年の優秀吟は和歌の部にエントリーした。課題吟は伊勢大輔「いにしへの」である。これは、かつて奈良の都に咲いていた「八重桜」が、いま宮中に届き咲き匂うという即興吟である。和歌の吟じ方では八重桜の余韻のひき方が一番難しい。今日は特訓で、この余韻を力強いなかにも、桜の柔らかな雰囲気を出すように何度も練習した。

いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重ににほひぬるかな 伊勢大輔 


奈良の都、平城京は710年に藤原京から遷都した。中国の都を模した作りの平城京で藤原京の倍もの規模を誇り、人口は20万もあったという。古代では最大の都である。だが、730年ごろ都には疫病が蔓延した。時の政権中枢の人物がこの疫病のため相次いで死亡している。そのため、遷都して20年ほどでそこを避けてさらに新しい都に移ることを余儀なくされる。奈良の都は荒れて、追憶の都として詠嘆されることが多い。

世間(よのなか)を常なきものと今ぞ知る 奈良の都のうつろふ見れば (万葉1045)

この時代、すでに仏教的な無常観が都に住む貴族に広がっていた。伊勢大輔はこの歌を踏んで詠んだように思う。さらに、小野老に奈良の都を詠った歌がある。

あをによし奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり 小野老

こう見てくれば、伊勢大輔が万葉の歌にねれ親しんでいたことが知れる。万葉から新古今、百人一首へ、和歌の伝統は今日まで連綿として読み継がれていることにいまさらのように感銘を受ける。


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早春賦

2014年02月04日 | 日記


きょう、立春。きのうまで、春を思わせる陽気だったが、一夜明けて寒くなっている。「冴返る」というのは、春めいて体がその陽気になれたころ、今日のように寒気が戻ることだ。気温の乱高下は体調の維持も難しい。インフルエンザが流行のきざしを見せているから注意が必要だ。

冴返る音や霰の十粒ほど 正岡 子規

こんな季節につい口をついて出るのは「早春賦」だ。この歌を口ずさめばいくつになっても青春の甘酸っぱい思いが甦ってくる。

春は名のみの風の寒さや
 谷の鶯歌は思えど
時のあらずと声も立てず
 時のあらずと声もたてず

大正2年の『新作唱歌』の一篇である。歌詞は東京音楽学校教授の吉丸一昌。青春の日、この歌を口ずさみなが、春が来るのを待ち焦がれた。降り積もった雪は溶けだし、朝固雪のなかを近道して学校へ通った。先生が弾くピアノに合わせてこの歌を合唱した同級生の顔が浮かんでくる。


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漱石枕流

2014年02月03日 | 日記


今日は節分、きのうからの雨で気温があがり、春めいている。光禅寺の庭園の雪がとけ石の上の苔が青々としている。やはり雪がなくなり、日がさすと苔も光合成をするのか、一段と緑色増すようだ。花壇の土にはスイセンの新芽が3センチほど伸びている。天気予報ではきょうの夜から寒波が南下して列島に居座るとのことだが、大寒を過ぎて春が目の前である。

中国の晋の時代に孫子荊という人物がいた。まだ少年のころ友人の王武子に自分は隠棲すると宣言した。王武子は、どうやって隠棲するかね、と聞いた。孫子荊は「漱石枕流、石に口を漱ぎ、流れに枕をするのさ」と言った。これは、「枕石漱流」つまり、石に枕し、流れに口を漱ぐというべきを間違えたのだ。友人が笑うと、頑固な孫子荊は負け惜しみに、流れに枕するのは耳を洗うためで、石に漱ぐのは歯を磨くためとこじ付けを言った。

夏目金之助が雅号に漱石を用いたのは明治22年(1889)5月22日である。金之助は「晋書」を読んで「枕石漱流」の故事を読んで早速付けたと言っている。「今から考えると、陳腐で俗気のあるもの」とも言っているが、頑迷な孫子荊のユーモラスに共感するところがあったのかも知れない。

枕する春の流れやみだれ髪 蕪村

漱石よりも前に、この故事の素材を使いながら自らの俳句の情景に仕立てたのは与謝蕪村である。晋書の故事は、日本の詩の世界に静かに深く組み入れられている。


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鷹鳥山

2014年02月01日 | 登山


今日も山形の里山、鷹取山(607m)に登る。昨日までの雪が止み、青空が目にしみる晴天。雪はとけたところが氷って、中腹まではカンジキでは歩きづらい。無風状態で日がさすので、暖かい。少し急坂になると汗が出る。雪道であるという条件を除けば、春山を歩くような快適さだ。

里山にも尾根と沢が必ずある。雪の山は尾根を外さないように歩く。いつかこの山を歩いた人のリボンがある。GPSを見ながら頂上を目指すが、地図と磁石を併用する。先を歩くリーダーから、時おり尾根の確認が出る。雪の里山は地形とGPSを確認して歩く格好の訓練場所しになる。雪が深くなると、カンジキでのラッセルも交代で行う。



青空に雪が降っているように見えるが、これはグーグルの画像サービスだ。抜けるような青空から、雪が降っているように加工してある。ちょっと面白い。今日のメンバーは男5名、女3名。無風で気温も高いのので、山中で開放感があるため笑い声が絶えない。弁当は持参せず山中では持参した菓子類を分け合う。

雪山を匐ひまはりゐる谺かな 飯田 蛇笏



頂上には申し訳ばかりの山の名を書いた看板。林の向こうには蔵王連山が真っ白に見えているが、残念ながら写真に収めることはできない。帰り和食の荒井で昼食。初めてとんかつ定食を食べる。


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