常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

リラの花とスズラン

2017年05月06日 | 日記


花の季節である。一歩外へ出ると、昨日目にしなかった花が咲いている。北海道では5月の中旬から6月かけてに咲く、リラとスズランが咲きはじめた。この花を見ると、やはり遠い故郷の記憶が甦る。リラはヨーロッパ原産の植物だが、寒さに強いことから北海道でよく鑑賞用に植えられる。フランス語でリラ、英語ではライラック、日本ではムラサキハシドイ、序に中国では紫丁花。フランス人がこの花を一番好んだらしい。ベルサイユ宮殿の生垣は有名である。

実は散歩に出かけて藤の花が咲いているのを期待したのだが、こちらはまだ咲きかけで、リラの花がきれいにとれた。山形は好天が続いて、花にはいいが、野菜の苗植えには、少し雨が欲しい。



足もとに目をやると、スズランが可憐な花をつけていた。昔、山形へきたとき、寮の庭で一番早くこの花を見つけたのだが、北海道のものとは違うように思った。友人に、北海道には梅雨がないから植物の生育も違うのではないか、と話した記憶がある。

朱鞠内といえば豪雪地として全国に名を馳せているが、昭和20年代に自生するスズランを楽しむスズラン祭りが行われていた。スズラン狩りと称して、葉ごと摘んで花瓶に挿した。人造湖もあり、キャンプ場があり、夏休みの学校行事でキャンプファイアーを楽しんだ記憶がある。優美なリラの花に対して、スズランは奥ゆかしいが、その鈴の形をした花に、郷愁を誘われる。

霧吹きて鈴蘭を摘む人が来る 水原秋桜子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立夏

2017年05月06日 | 日記


近年、春が短い。ようやく寒い季節から解放されて、桜が咲いたと思う間もなく汗ばむような季節がやってきた。八十八夜は立春から数えて88日めで、茶摘みが始まり、農家では別れ霜と言われて農作業の目安になる。立春から数えて91目が立夏である。昨日が立夏で、裏山にワラビ採りに出かけると、もう結構長く伸びたワラビの初収穫ができた。畑では、隣のIさんがキュウリの苗を植えていた。我が家では、ようやく畑を耕して施肥が半分ほど済む。山形では5月8日から植木市が始まる。

八十八夜あかるしぼんのくぼ冷えて 吉田  明

太宰治に『八十八夜』という短編がある。太宰を思わせる作家が、初夏の日に、上諏訪に旅に出る話である。その前年の秋、作家はその宿に缶詰めになって4、5日で原稿を書き上げた宿である。その時、部屋係と世話してくれた女中さんに逢いたくなって、散在する金を持って出かける。宿は忙しかった。くだんの女中さんも忙しく立ち働いていた。その女中さんと、酒を酌み交わしながら話をしたかったのだが、それも叶わず悪酔いして寝込んでしまう。その朝作家は、朝食をとることもなく逃げるように宿を去る。

話は単純にこれだけだが、作品名の『八十八夜』のエピグラムに、夏も近づく、と記されてあったが、初版本になったとき「諦めよ、わが心、獣の心を眠れかし」と改められたという。再会した作家と女中さんの短い会話に、太宰が書きたかった人間の本音が顔を出す。太宰らしい恥じらいを含んだ小品である。その中に信州の初夏の風景が記されている。

「湖が、―むかしの鏡のように白々とひろがり、たったいま結氷から解けたみたいで、鈍く光って肌寒く、岸のすすきの叢も枯れたままに黒く立って動かず荒涼悲惨の風景であった。」

信州の春は遅い。八が岳や甲斐駒ヶ岳の威容が、里の景色を小さくしているのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンゴの花

2017年05月05日 | 日記


リンゴの花を見ると、昭和の名曲「リンゴ追分」が思い出される。昭和27年ラジオ東京の開局記念番組として『リンゴ園の少女』が放送された。「リンゴ追分」はこのドラマの挿入歌として歌われた。昭和27年といえば、敗戦がなお色濃く残る社会であった。そこに出現した天才少女歌手の歌声が、人々の心に沁みわたった。美空ひばりが、名実ともに歌手として、映画の女優として確固たる地位を築いたのは、この名曲の大ヒットによると言っても過言ではない。

 
リンゴの花びらが 風に散ったよな
月夜に 月夜に そっと えええ……
津軽娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが
風に散ったよな あああ……

   台詞
   「お岩木山のてっぺんを綿みてえな白い
   雲が、ポッカリポッカリ流れてゆき、
   桃の花が咲き、桜が咲き、そっから
   早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃は、
   おら達のいちばん楽しい季節だなやー。
   だどもじっぱり無情の雨コさ降って白え
   花びらを散らすころ、おらあ、あのころ
   東京さで死んだお母ちゃんのことを
   思い出すて……おらあ……、おらあ……」

津軽娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが
風に散ったよな あああ……

ラジオのドラマの主題歌として、また映画化された『リンゴ園の少女』の挿入歌として「リンゴ追分は空前の大ヒットとなった。発売後まもなく70万枚、最終的には130万枚の売り上げをあげた。昭和27年の4月28日、ひばりはこの歌を引っさげて、歌謡歌手として初めて歌舞伎座でのリサイタルを果たす。歌舞伎座の関係者からは、「歌謡歌手なんぞに舞台に立てれては、汚れる。どうしても立つなら床板を削りなおしてもらおう」という声が上がった。

それにしても、リンゴの花を近くで見ると美しい。肉厚な花びらがはなやかな蕊を囲んで、とって食べたいようないとおしさである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月山

2017年05月04日 | 日記


季節の変わり目は、空気が澄んで遠くの山がくっきりと見える。蔵王山が頂上付近まで雪解けが進んでいるのに対し、月山はまだまだ残雪に白く輝いている。それでも、尾根の所々が、雪が消えて黒く見えている。この山に初めて登ったのは、30代の後半で、会社勤めをしていたころであた。得意先の若い人たちが、夏の月山登山を企画していて誘われて、家族も連れて登った。日ごろ、車での移動で、運動もほとんどしていなかったが、不安などは感じなかった。グループのなかに一人、登山の経験者がいて、その人がリーダーとなった。男女10数名のグループであったように思う。

夏の7月でも頂上付近の日の当たらないところにはまだ残雪があった。不謹慎ではあったが、残雪で冷やして飲もうと、缶ビールをリュックに小分けして詰め込んだ。先頭に立ったのは、若い元気な女性社員であった。娘がその後を追いかけて登った。登山というよりも家族連れのリクリエーションという雰囲気であった。妻は頂上の手前で疲れて、もう登らないと言い始める。それでも励ましながら、全員が無事頂上に立った。缶ビールが冷えて、乾いた喉を潤した。その時の経験で今も忘れないことがある。

日にあたる残雪が蒸気を出して、融けている光景である。その下は雪解け水が勢いよく流れ落ちている。初めて目にした自然の営みの新鮮さであった。同じ光景を見た歌人の結城哀草果が歌に詠んでいる。

とことはに湯気わきのぼる深谷にあげたる声のこだま消えゆく 哀草果
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端午の節句

2017年05月03日 | 日記


5月5日は端午の節句である。端ははじめではじめの午(うま)の日という意味だが、午と五が同音であることから、5月5日を指すようになった。陰暦の5月は暑さが来るので、慣れない暑さで食中毒などの疫病が流行った。そのために5月は悪月とも呼ばれ、菖蒲の葉を刻んで酒に浮かべて飲む疫病払いが習わしであった。菖蒲湯は、この風習が形を変えて今に伝えられたもの。鯉のぼりは、5月の風に元気よく泳ぐ姿に、子どものすこやかな成長への願いがこめられている。

手拭の藍に菖蒲の緑かな 高濱 虚子

空に泳ぐ鯉のぼりを目にすることが少なくなった。少子化で子どもが少ないのと、あの大きな幟棹を置くような家が少ない。たまに目にすると、何か懐かしい光景を見るような気がする。「怠けものの節句働き」という言葉がある。普段仕事をしないのに、休みになると急に働きだす変りもののことである。私の農園の仕事もまさにそれで、連休で里帰りの団らんの間に、夏野菜の植え付けを、と怠けものの魂胆である。山には山菜、野には様々な花、5月はせわしない気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする