常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

花芽

2018年03月22日 | 


冷たい雨。桜の花芽の成長が停滞している。すでに咲いたところば、花の命が長持ちしているということだ。花は万人が愛でるが、咲く前の花芽に注目する人はあまりいない。桜守とは、庭に咲く花の番人、つまりその家の主人である。花守ともいう。謡曲の「田村」の一節に、「よしありげなる姿にて玉箒を持ち、花かげを清め給ふは、花守にてましますか」とある。桜守であるならば、その芽の成長を見守り、木のどこかに病気がないか注意を怠らなかっただろう。

花守や白きかしらをつき合はせ 去来
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スズメ

2018年03月21日 | 日記


朝、散歩の途中に公園を通ると、小鳥のさえずりが心なし活発になったような気がする。小鳥の名を知ろうと図鑑を買ってみたが、スズメやヒヨドリ、セキレイを識別できるくらいで一向に詳しくならない。山に行って鳴き声を聞くウグイスやホトトギスなどは、めったに姿をみることはなく、いまだに木々の間に見かける鳥がそれだと言い切る自信がない。まして、デジカメで小鳥の姿を撮影するなどは夢のような話だ。ブログに鳥の生態を撮影して、紹介されている方が複数いるが、読者になって毎日見るのを楽しみにしている。あのような写真を撮ることができることに尊敬の念を禁じ得ない。公園で聞く鳴き声は3種類ほどある。なかでも元気よく聞こえるのは、スズメたちだ。チッ、チチッと間隔狭く鳴いている。暖かくなると、卵を産むための営巣が始まるのだろうか。

子雀を拾ひぬくめて遣り場なし 岩城のり子

太宰治の『お伽草子』に「舌切り雀」というのがある。小金を持った主人公が、下女を妻にし、無為徒食の暮らしを送っている。屋敷の裏に竹藪があった。竹藪には無数のスズメが棲んでいて、朝から元気よく鳴き騒いでいた。ある日、主人公が脚をくじいて仰向けにあがいている子雀を見つけた。黙って拾い、部屋の炉ばたに置いて餌を与え、脚の癒えるのを待った。雀は脚が癒えても、部屋のなかで遊んで出ていこうとしない。主人公の与える餌をついばみ、あたりに糞をする始末だ。それを見つけた妻は、怒って追い回すが、主人公は懐紙で糞を片付け、スズメを安心させる。スズメはすっかり主人公に馴れてしまった。

ある日、スズメが人間の言葉で、若い女の声だが、主人公に話しかけた。無口の主人公に聞きたかったらしい。「あなたは何も言いやしないじゃないの。」「世の中の人は皆、嘘つきだから話すのがいやになったのさ。」「それは怠け者の言い逃れよ。」ずいぶん、世の中のことを分かったような子スズメと主人公の会話である。その会話を聞きつけたのが、下女あがりの妻である。自分をさておき、どこの女とうれしそうに話をしていたかたと詰め寄る。主人公は、しかたなくそばで遊んでいるスズメを指して、これと話をしていたと、白状する。それを信じたわけではないが、そんな話をできないようにしてやると、スズメを捕らえ舌を抜いてしまった。

驚いたスズメは大きく羽ばたくと、竹やぶのなかに消え去った。翌日から主人公の、スズメ探しが始まる。「シタキリ スズメ オヤドハ ドコダ」念仏のように繰り返し、繰り返し、毎日、毎日、探索を続ける。とうとう屋敷は雪の季節を迎えた。藁沓を履いて、主人公は雪の中でも探索を続けた。とうとう、雪の中に倒れ意識を失ってしまう。結末は、この小説を読んでもらうこととして、昔話の定番、慾深いお婆さんの死が待っている。

コメント (2)
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水仙

2018年03月20日 | 


バス停の近くにある建物の塀の脇に水仙が咲きはじめた。小さなラッパ水仙で、地にはりつくように生えている。カメラを花に近づけて撮影していると、バスを待っているご婦人が、「こちらの方がよく咲いていますよ」と教えてくれた。春を告げる小さな花を撮影することは、花好きな人の共感を呼ぶらしい。咲いているといっても、やっと頭をもたげたばかりの風情であった。

黄水仙ことばはがねのごとひびく 鈴木 詮子

黄水仙が日本に渡来したのは江戸時代のことらしい。観賞用に春の花として栽培され、いまに続いている。この花は、この国多くの人から愛されてきた証でもある。深い緑の葉の間から、頭をもたげるようにして咲く黄色の花は、あざやかで人の目をひくには十分である。
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クロッカス

2018年03月19日 | 
動画


坂巻川の土手の空き地に、咲きそろったクロッカスが春風に揺れていた。クロッカスはギリシャ神話に出てくる可憐な少女の名である。オリンポス12神のひとりであるヘルメスと恋に落ちた。ある雪の積もった日、二人は相乗りの橇を作り、雪遊びに興じて時の経つのを忘れてしまった。日が沈み、風が冷たくなってきたので、ヘルメスは少女を一人橇に乗せ、家に帰ろうと一押しした。すると、突然強風が吹きおこり、少女を乗せた橇もろとも、谷底へと引きさらっていった。
深い雪のなかの谷底は、12神といえ探しようもなかった。翌春、遺骸のあった場所に、雪を割って可憐な花が咲いた。少女の名にちなんで、この花をクロッカスと呼ばれるようになった。
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家族

2018年03月19日 | 日記


娘一家が訪ねて来て東根温泉に泊まった。晴天で、旅館の真向かいに葉山が見えた。いつも家の非常階段から見える葉山と比べると、間近に見える葉山はその存在感に圧倒される。老夫婦の二人ぐらしに、娘たちが加わると、改めて家族というものを考えさせられる。めったに来る機会もないが、来ても一泊がやっとだ。子どもたちが心配することのないようよう元気に過ごすこと。いま高齢を迎えた老夫婦、第一にすべきことのように思われる。

たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふとき

橘曙覧の「独楽吟」の一首である。温泉の食卓に、タラの切り身、ホタテに白菜、豆腐を入れた鍋が出た。なんの変哲もない、普通の家庭でつくるタラ鍋である。「おいしい、しあわせ」と孫が夕食の席で口を切る。その一言で、この旅館での食事の席にいる皆が、しんみりとした幸福感に浸った。

たのしみは 家内五人 五たりが 風だにひかで ありあへるとき
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