常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

陶淵明

2021年01月13日 | 漢詩
朝、ベランダから南を望むと、大平山が朝日を受けてその穏やかな全貌を見せていた。数日、小雪がちらついて山の姿を隠していたので、こんな朝の光景を見ると心が落ち着く。麓には春の霞に見える薄い霧がたちこめている。ふと頭をよぎるのは、陶淵明の詩の言葉である。

歳開けてたちまち五日
吾が生行くゆく帰休せんとす
之を念えば中懐を動がし
辰に及んでこの游を為す

帰休は終焉を意味し、中懐は心の内。陶淵明にとって、この游とは、景色のよい場所に、友人と座し、酒を酌み交わすことである。今朝のこの時間を逃すことなく楽しめ、明日をあてにしてはならない。

春の花や緑の美しさを待っていることはできない。雪のなかに静かに眠る木々たちのかすかな呼吸。そのなかにも、生を歓びとすることが可能である。朝日を受ける木々たちもまた、明日を待たずにこの瞬間を楽しむことを促されているような気がする。
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小正月

2021年01月12日 | 日記
寒に入って寒い日が続いたが、気温が上がって春先のような気候になってきた。東京などの太平洋岸で雪が降り、今夜から明日にかけてこの地方に雨が降るという予報が出ている。やはり、気候は温暖化の傾向をはっきりと示している。知事選挙の記述前投票に市役所に行ってきた。コロナ禍で初市が中止になり、初飴やダンゴ木などの小正月の縁起物を市役所前の広場で売っていた。農家でも最近は、小正月を祝う行事もだんだん見られなくなりつつある。

1月の15日が小正月にあたり、農家の豊年を願う行事が行われてきた。先ず二日前に餅を搗く。搗きあがった餅は、20㌢ほどに伸ばして、箸を添えて紐で巻いておく。一晩おくと餅はほどよい硬さになるので、箸を外して餅をちぎったダンゴを作る。これに食紅で色をつけて、山から採ってきたミズキの枝に餅をつけていく。神棚の前に、餅花が咲いた枝が飾られる。たくさん餅をつけると、それだけその年は豊作になると信じられた。どの家でも、家族総出で餅花づくりに励む。これが昔の農家の小正月の行事だ。この日は、正月には忙しかった女たちに休暇を与えた。女正月とも呼ばれた。誰に遠慮もせずに、焼餅などを食べながら、好きな話に花を咲かせた。

餅花をつくりし日より春動く 新井信子
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氷柱

2021年01月11日 | 日記
寒気が居座っている。毎日、最低気温は-5℃を下回る。今年の大雪の被害は日本海側の新潟以南に出ている。富山、福井などで雪中で車が動けなくなる立往生が、千台~500台とある。自衛隊の災害派遣で、雪を除いて車を動かす作業が夜を徹して続く。気温が下がる中、運転席でエンジンをかけたまま過ごすのも容易ではない。雪がつもると、排気ガスが車内に逆流して二酸化炭素ガスの中毒で命を失う人も出ている。

屋根に雪が積もると、室内の気温が上がると溶け出して滴る水が凍って氷柱ができる。子どものころから見なれて風景だが、今年の大雪であちこちで氷柱を見ることができる。懐かしい風景だ。鈴木牧之の『北越雪譜』には、家のなかに氷柱ができる話が出てくる。北越ではどの家の屋根も板葺きであったらしい。そのため古くなった板が損じると、春先に雪が解け始めると、室内に融けた水が洩ってくる。洩ってくる水の下に桶や鉢を置くが、気温が下がると、これが氷柱になる。部屋のなかにできた太い氷柱は、見たことのない暖国の人に見せたいもの、と記している。

朝、散歩に出かけた。公示された知事選挙の街宣車から、候補者の名前を告げる声が聞こえてくる。チラチラと雪のなかで、スピーカーから聞こえてくる声は現実ばなれした感じがする。どこか遠い国の出来事を聞いているようだ。「難局を克服して」と言われても、目の前で起こっている感染症は、スマホで定刻に感染者の人数が知らされる。ここにきて、20代、30代の人たちの感染が目立つ。低い気温と乾燥した空気が、コロナ菌を元気にするらしい。

軒氷柱丈余に育て人住めり 岩井完司
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山形神室

2021年01月09日 | 登山
山の会の今年の登り初めは、蔵王山系の北に位置する神室山。雪の中を考慮してはまぐり山を目指した。折から、今冬最大の寒気が入り、列島は大雪と強風が北上しつつある。宮城、福島の太平洋方面のみ晴れマークがついているが、当地方は一日を通しての雪の予報だ。朝起きて見たのは、東のそらが、日の出のためにピンク色に染まっている。強風の時は、迷わず撤退と考えていたが、明るくなるととともに、青空が広がってきた。

今年初めての山行だけに、決行を決断するまでに、さまざまな不安が心中をよぎって行く。昨日の夕方には、「天気が悪いようですが予定通りですか」という問い合わせも来た。零下10℃ほどの登山口までの道路事情。かなりの凍結は間違いない。スリップ事故が頭をかすめる。青空が広がってきたのを味方に、7時20分自宅を出発。関山を過ぎたあたりから、予想通りの凍結。何かの事情で車が停車すると、スリップして動けなくなる危険のある。どうやらノンストップで、集合場所のゲートに定刻に到着。ここで、ひとまず安堵。

ゲートから峠まで、閉ざされた車道を横切りながらの山道を行く。8時15分出発。すでの先行の登山者のカンジキの踏み跡がついている。そこを辿りながらツボ足で登る。一行8名、内男性3名、新顔の健脚女性2名が加わっている。新雪が15㌢ほど降っているので、凍結などの心配はなく、スムーズに山道をのぼる。雪のついた杉林から、透明な青空が狭く見える。視界が拓けて飛びこんできたのは、霧氷に被われた木々の向こうに、新雪をふんわりと被った新雪の山頂だ。気温は-10℃を超している。雲一つない青空とのコントラスト。これほどの気温のなかでみる雪景色を見ることは日常にはない。非日常の環境に身を置いてこそ得られる景観である。最初で最後となるかも知れない、得難い光景である。

登山口からほぼ2時間。夏であれば駐車場となる笹谷峠に着く。夏道を通らず、雪上を行く前山が、霧氷のつく樹々を擁してながら頂上を見せている。その向うに、今日の目的地はまぐり山の頂が見えている。ここからカンジキを履いて雪の中も行く。だがここにも先行者の跡がついて、その上を辿ることになる。朝の青空は、カメラに光景を収めた直後に、山頂付近にガスが現れ、あっという間に空を覆いつくす。「朝の感激は終わったね」誰かが、無念さをつぶやいた。

しかし、雪の上を邪魔されるもののない最短の距離で登れる楽しさこそが、冬の登山のだいご味である。初めて一緒の健脚の二人は、水を得た魚のような軽い足どりでどんどんと登っていく。駐車場からほぼ1時間、目的のはまぐり山に着いた。
標高1146m、ハマグリと山名を記した標識をかけた木には、エビの尻尾のような樹氷の子どもがついていた。ここに立って、雲のなかからうっすらと仙台神室のげんこつのような山頂が見えてきた。振り返ると、登って来た山の姿が見える。左の方に、雪庇の美しい曲線が張り出している。「雪と戯れましたあ」と、健脚の二人が雪山の楽しさを語った。

下山を待ってくれているのは、山工小屋で火を入れ、ナメコ汁を作ってくれているSさんだ。下山の斜面から小屋は見えているが、到着までの時間が長く感じる。それだけ、下りの斜面で使う筋肉量は半端ない。駐車場でスマートウオッチを見ると、14000歩が示されいた。小屋に近づくとともに、太陽の光が戻ってきた。12時30分、山靴を脱いで小屋に入る。鍋のナメコ汁がいい香りを漂わせている。
午後になっても霧氷はついたままである。雪景色を堪能しながら、来た道をゲートへを下っていく。筋肉疲労が進む足には、下山の雪道は辛いものがある。前のめりになって転倒するが、雪上のために大事には至らない。新しい令和の年は、見たことのない人生初体験の雪景色を堪能する登山で始まった。コロナが治まり、もっと自由に山行できることを願わずにはいられない。

雪嶺の光や風をつらぬきて 相馬遷子
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東根温泉

2021年01月08日 | 日記
東根温泉は山形市から国道13号線を北上、約20㌔ほどの田園地帯にある。天童を過ぎ、東根と楯岡の境であるが、この辺りまで来ると雪が深くなるのが周りの景色を見ただけで分かる。西方に聳える葉山、月山が屏風の役目を果たして雪の降る地域が決まる。この辺りから南下していくと、積雪は次第に少なくなり街が形成されて行ったことが理解できる。

東根市のほぼ中央に東根小学校があり、校舎内にある大ケヤキは樹齢千年を超える国の特別天然記念物に指定されている。昨年12月に降った大雪で、大きな枝が折れたことがニュースになった。温泉からここを目指してウォーキングを試みたが、深い雪道で歩き切ることはできなかった。この学校の敷地は、かっての東根城の本丸跡で、戦国時代には小城下町として、8千石の領地であった。最上氏が勢力を伸ばす中で、ここの城主も破れ、最上氏が支配することになった。

東根温泉にはもう数え切れない位来ているが、この温泉が湧出したのは明治43年のことである。その年は干ばつに悩まされ、地主が灌漑用の掘り抜き井戸を掘っていたところ、温度43度の温泉が噴き出したという。その近辺は、温泉を目当てに掘削が行われ、翌年には50本の温泉が掘られ、田んぼのなかに突然温泉街が出現した。東根温泉から道を歩くと、どこまでも雪原が広がっている。雪の下は田である。
6、7日と東根温泉に泊まる。妻と二人だけで温泉に行くことは余りない。正月の二人暮らしで不都合はないが、家事抜きで温泉でゆっくりするのも、この年になれば、ちょっとした贅沢でもある。温泉に行っても、特別の話題ができるわけでもない。日常にはない、ゆっくりと流れる時間。いつでも入ることができる温泉。ここ20年ほど経験したことのない寒気。宿の室内では、冬の台風のような気候にも気を使う必要もない。

テレビから流れてくるのは、コロナの感染の拡大だ。感染者の数は、毎日最高を更新、日に1万人も視野に入っている。温泉は多分100人単位の客を受け入れる規模だが、この二日止まり客は、我々二人の夫婦のみ。偶然ではあるかも知れないが、二人だけの客にサービスの人たちが雪のなかを出勤してくるのは申し訳ないような気もする。大雪とコロナが、忘れることのできない温泉旅行を実現してくれた。
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